次世代を担う舞台人が灯した火は消えない 東京芸術劇場「ゲゲキャン」が示す創造の可能性
劇場とは何のために存在し、舞台芸術作品は何のために上演されるのか。なぜこんなにも、時代や、ときには国境を越えて、上演され続けているのか。その答えを知るためには、自ら覗き込んでみればいい。もしも機会があるならば、飛び込んでみるといい。その扉は、万人に向けて開かれているはずなのだから。
「ゲゲキャン」は舞台芸術の世界に触れるためのワークショップ
東京・池袋の西側に位置する東京芸術劇場(通称:芸劇)では、2024年の夏、東京都とともに「中高生のためのクリエイティブCAMP(通称:ゲゲキャン)」が開催された。これは次世代の担い手である中高生が、舞台芸術の世界に触れるためのワークショップだ。
ダンサーにして演出家であり振付家でもある碓井菜央と藤村港平、現代音楽家の小野龍一、NHKEテレ『にほんごであそぼ』をはじめとする数々の名作の美術と衣装を手がけてきたコスチューム・アーティストのひびのこづえをクリエイティブ・ディレクターとして迎え、それぞれの領域を横断しながら舞台芸術について学ぶことができる環境を提供。公募によって集まった若者たちが40日間にわたってダンス作品を創作し、9月29日には東京芸術劇場 シアターウエストにて、ゲゲキャン公演『キャンプ場で作るカレーはどこの家にもない味がする』(以下、『キャンカレ』)が上演された。
筆者はライターとしてたびたび創作現場に足を運び、「ゲゲキャン」がいったいどのようなものなのかを第三者の立場から眺めてきた。創作過程を追った「現場レポート」はすでに執筆しているため(※)、本稿ではその成果発表である『キャンカレ』の「レビュー」を軸に、このプロジェクト全体を振り返るような内容にしたいと思う。
「ゲゲキャン」の名から推測できるとおり、このプロジェクトは「キャンプ」にちなんだもの。「キャンプ」の語源はラテン語の「campus」で、「平原」「広場」「開かれた野原」という意味がある。
舞台芸術作品が生まれる「劇場」と「キャンプ場」には、いくつかの共通点がある。ひとつは、不特定多数の人々が集まる場であること。もうひとつは、集まった人々により何かが生まれる場であること。そしてもうひとつは、同じ時間と空間を共有していながら、個々の体験はそれぞれ異なるということ。
たとえば、同じ「星空」を見つめていたとしても、その見え方はそれぞれ異なる。私たち一人ひとりのバックグラウンドは違うし、そこから形成される価値観も異なるのだから、見え方や感じ方に差異が生まれるのは当然のこと。むしろ筆者は、この差異を肌で感じるため、「劇場」や「キャンプ場」に行く。いろんな人々がそれぞれの価値観を持ち寄る場所なのだから、その時、その場でしか生まれることのないものがたくさんあると思う。公演タイトルになっている『キャンプ場で作るカレーはどこの家にもない味がする』は、まさにこれを端的に表しているだろう。
観客を巻き込む『キャンカレ』の開演前パフォーマンス
さて、では内容はどうだったのか。さまざまな個性とアイデアが混ざり合い、どのような作品が生まれたのか。筆者は『キャンカレ』が誕生していく過程を目にし、本番の数日前にはリハーサルも見学している。けれどもやはり、本番というのは違う。「ゲゲキャン」の関係者の協働に、私たち観客も加わるからだ。芸劇の地下1階のロワー広場から、『キャンカレ』ははじまった。
東京芸術祭の開催期間中ということもあり、ロワー広場は人で溢れていた。そこへ突如、「ゲゲキャン」の参加メンバーである17名の「ゲゲメン(ゲゲキャンメンバー)」が現れる。偶然なのか必然なのか、この場に居合わせた一般客に混じり、誰もが思い思いの動きを展開していく。開演前パフォーマンスだ。これにより何でもない空間が、まさに「キャンプ場」のような、『キャンカレ』がはじまる予感に満ちた空間へと姿を変えていく。思いがけぬ展開に、立ち止まる人もしばしば。
「ゲゲメン」のリーダー的な役割を担った石山天空は、「自分の動きに反応してくださる方もいて。すごく楽しい時間でした」と語り、これまでにさまざまな舞台に立った経験のある藤戸野絵は「開演前パフォーマンスも『キャンカレ』もそうですが、お客さんとのコミュニケーションによって成立するものだと思っています。そこにお客さんがいるからこそ、私たちはこの時間を生きられる。お客さんとつながるということを、強く感じることができました」と続けた。
目の前で確実に何かが生まれているーーそんなことを筆者も肌で感じた。やがて「ゲゲメン」の陽気なかけ声と動き、クラップ音などに導かれるようにして、シアターウエスト内へ。いよいよ『キャンカレ』の開幕である。
観客と共鳴することで生まれる舞台の躍動感
本作の舞台の構造は、四方を客席が囲むものとなっていた。「ゲゲメン」の開演前パフォーマンスにより気分が高揚したまま、私たちは自分の好きな席へ。座席によっては「ゲゲメン」を見下ろすかたちとなるものや、逆に見上げるもの、そして同じ目線になれるものとがあった。どの座席を選ぶかで、見え方は大きく変わってくる。筆者はより近くでみんなの熱気を感じたかったため、同じ目線になれる座席を選んだ。
静かな劇場内に野絵の歌声が響き渡り、彼女が「おーい!」と仲間たちに呼びかける。そして、みんなが「おーい!」と応答する。さあ、若き舞台人のお出ましだ。
『キャンカレ』は、「キャンプ」からイメージできるさまざまな要素を基にしたシーンの連続によって構成されている。たとえばそれは「山」であり、「テント」であり、「蚊帳」であり、「夜の森」であり、「星空」であり、「キャンプファイヤー」でもある。いずれも「ゲゲメン」のみんなが持ち寄ったワードで、これらをモチーフに、ダンスの芽となるような動きを生み出していった。
ひびのが手がけた衣装を身にまとった「ゲゲメン」は、小野による音楽に合わせて次々に「キャンプ」のモチーフを全身で表現していく。数日前にリハーサルを見学したときにはみんなから緊張感を感じたものの、本番ではとにかく誰もがこの時間を楽しんでいるのが伝わってきた。かといって、笑顔が絶えない、というわけでもない。シーン展開に合わせて心が動くはずなのだから、それが自然と表情に表れているのかもしれない。
リハーサル時に繰り返し修正を重ねていたポイントも、この本番では完璧に決めてみせる。いや、完璧以上だったのかもしれない。私たち観客がいることで「ゲゲメン」のパフォーマンスはさらに高次元なものになっていた。野絵が口にしていたように、私たち観客がいるからこそ、「ゲゲメン」のみんなはこの瞬間を舞台上で生きられる。何か化学反応のようなものが起きていたのかもしれない。
碓井は本番直後に「みんなとはギリギリまでぶつかり合っていました。人として向き合っていたので、中高生だということは意識していませんでした。一緒に作品を発表する以上、やっぱり嘘はつけない。でも私が伝えることに対して、最後の最後まで高い熱量で返してくれたんです。ゲゲキャンがはじまった頃と比べると、明らかにみんなの顔つきが変わりました」と語っていた。
藤村も「ゲゲメン」のみんなの変化を肌で感じていた。「舞台芸術の本質は、中高生でも大人でも変わりません。だから言葉は選ぶけど、僕自身が大切にしていることは曲げずに伝えたほうがいい。そんなことを思っていました」と述べたうえで、「ゲゲキャンでは表現する技術というよりも、他者に対してどんどん自分を開いていくことの大切さを伝えたつもりです。他者とコミュニケーションを取りながらモノづくりをするのって、すごく大変で、大人になったいまでも苦しさを感じています。だからみんなとは一緒に苦しんで、ぶつかり合いました。そうすることで一人ひとりが変化していきましたし、それは踊りにも反映されていったのではないでしょうか」と語った。