『おんな城主 直虎』巧みな囲碁の演出が示すものーー徳川家最大の悲劇に向けて

 ドラマは終盤となり、物語は初期からの伏線を怒涛の勢いで回収しつつ、平埜生成と菜々緒演じる、家康の嫡男・徳川信康と家康の正室である瀬名を巡る徳川家最大の悲劇が今まさに起ころうとしている。

 井伊家サイドの物語に集中し、つい失念しがちであったが、菅田将暉演じる万千代が徳川家に仕えはじめるよりもずっと前から、阿部サダヲ演じる徳川家康とその主従、そして家康と瀬名の物語は描かれ続けていた。家康は、直虎(柴咲コウ)と同じく囲碁というこのドラマにおける重要なアイテムで語ることができる人物であり、瀬名は、子役時代であるこのドラマの序盤から、今川氏真(尾上松也)や、直虎はじめ井伊谷の幼なじみ3人と共に描かれていた人物である。ある意味彼らは、このドラマの裏の主人公とヒロインだったと言えるのかもしれない。主軸ではないところで丹念に描かれていた物語は、終盤になって直虎や万千代という主軸の主人公たちを目撃者として、クライマックスを迎えようとしている。

 そしてここにきて圧巻とも言える働きぶりを見せているのが囲碁を使った演出だ。政の決断、「次の一手」を、直虎と家康は往々にして視聴者に囲碁を打つという行為で示してきた。それは直虎と家康の共通点であり、常に高橋一生演じる家老・小野但馬守政次を対局の相手とする直虎と、一人囲碁の家康という違いを見せるものでもあった。

 今回、家康と息子・信康の関係が囲碁を通して表現されるのは、直虎と政次との関係、並びに政次の死を密接にリンクさせるものに他ならない。信康が治める岡崎と家康が治める浜松が「不仲に見えるのはよろしからず、徳川のこの先のためにも」と信康が言うことは、あえて不仲に見せていた井伊と小野の関係との関連を思わせるものであり、浜松による岡崎に対する非情な処遇について、臣下たちに「さすがは岡崎と言わせてやろう」と信康が家臣たちを諭すことは、「さすがは潰れた家の子」と言われるようになろうと奮起する数話前の万千代のエピソードも想起させる。だが、遡って井伊に疎まれる存在である小野の人間として生まれた政次が「小野はさすがに頼りになると言われることこそがまことの勝利」と語っていたことが重なってくる。

 あえて不仲に見せかけていた直虎と政次の囲碁は、離れたところにいても完全に互いの行動を想定している、一時も読み違えることのない息のあった碁であった。しかし、不仲に見せたいわけではないのに溝が生まれていく家康と信康の場合、その導線は微妙にすれ違っている。家康の側室に新たな男子が誕生したことを快く思っていない岡崎の心情を察した家康は、黒い碁石を手に、信康を思い次の一手を思案する。そして場面変わって岡崎で黒い碁石を指す信康は、家康の思いとは裏腹に、信康が子宝に恵まれないことに焦る母親・瀬名の意を汲んで、事件の発端になる側室選びを決断する。

 家康は、織田に濡れ衣を着せられた信康を、徳川家を守るためには断罪しなければならないという状況で、白い碁石を噛みながら葛藤する。悩み苦しむ彼に、母親として於大の方(栗原小巻)が「お家を守るために人柱として子の命さえ絶たねばならぬこともある」武家の宿命を語って聞かせることは、かつて政次が、家を守るために我が身を滅ぼし、直虎に「次の一手」として白い碁石を託したことを反芻させる。

 このドラマにおいて白い碁石は、「家」を存続させるための、あらゆる死や犠牲をもってこれまで繋げてきた人々の思い、襷のようなものを示し、一方でそれは武家が囚われ続ける一つの呪いのようなものであるように思う。だから直虎はあえてそれを放棄することで、井伊谷の人々と彼らが安心して暮らせる土地を守り、たとえ「冷たい鬼婆」と言われようともその意志を曲げないのだが、それはまた後日語られるべき話であろう。

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