【追悼】小林信彦:下町のシティボーイだった昭和の語り部 書き残した「時代の空気」の傍証

出版エンタメとテレビ草創期の時代の空気の記録者

 2026年10月23日はあわただしい日となった。小説家の村上龍の逝去に続き、小林信彦が去る10月19日に多臓器不全のため93歳で逝去していたことが報じられた。2017年には一度脳梗塞で倒れたものの、回復とリバビリを果たしていたので、かつて夏目漱石が臨死状態から復活した「修善寺の大患」の平成版のようだった。

 1932年、東京の日本橋に生まれた小林信彦は、1958年に雑誌『宝石』の編集に参加したことを発端に、出版・テレビ業界に携わり、作家に転じて以降は『虚栄の市』『唐獅子株式会社』『夢の砦』『ちはやふる奥の細道』『ドリーム・ハウス』『日本の喜劇人』『おかしな男 渥美清』 ほか小説・エッセイ・批評など膨大な作品を著した。

 多岐にわたる仕事のなかでも語り継がれるべき点は、戦前の大衆文化について詳細な傍証を書き残したことだろう。「戦前」と聞けば、学校で習ったイメージで漠然と、ずっと軍国主義で真っ暗な時代と思っている人は少なくないのではないか。だが、昭和初期の東京下町の商家の子だった小林信彦は、『週刊文春』の連載コラム『本音を申せば』をはじめ数々の著作で、幼少期から落語や榎本健一(エノケン)の喜劇に熱中し、少し上の世代には、ジャズやハリウッド映画をはじめアメリカ文化を愛好する青年が大量にいたことをくり返し述べている。戦前の若者たちも雑誌やラジオで最新の流行を追い、芸人やアイドル女優の推し活に興じ、ある面では現代と変わらなかったのだ。

 ただ、小林信彦は寄席や劇場が身近にある文化的に豊かな環境で育ち、昭和初期としてはモダンなシティボーイだった。高齢になってからも、エッセイなどで「ぼく」という一人称が不思議とよく似合っていたのは都会っ子ゆえだろう。

 こうした戦前からのサブカルチャー教養の蓄積が、青年期の雑誌編集やテレビ放送作家としての仕事に生かされることになる。交友のあった文化人や実体験をもとにしたエピソードも幅広い。戦前に江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズを読んでいた小林信彦は、乱歩本人から(明智小五郎のように)「小林君」と呼ばれた、『宝石』で働いていた当時の話だ。現在でこそミステリ、SF、ホラーなどは独立したジャンルとして確立しているが、乱歩の要請で小林信彦が編集長を務めた『ヒッチコック・マガジン』は、草創期ゆえのジャンル呉越同舟で、大藪春彦、都筑道夫、星新一ほか多様な作家が参加した。テレビ関係の仕事では、青島幸男、野坂昭如、谷啓らは同世代の盟友だった。

 1989年刊行の『イエスタデイ・ワンス・モア』では、主人公が1959年にタイムスリップすると、メディア関係者でも「SF」という言葉が通じない——これは実際に1959年当時、SFやミステリの翻訳に携わっていた小林信彦の経験が元になっている。続編で1991年刊行の『ミート・ザ・ビートルズ』(『イエスタデイ・ワンス・モアPart2』)は、1966年に来日したビートルズのメンバーが日本の右翼に暗殺されかける。令和の現在、いかにも荒唐無稽な設定のようだが、実際に当時、大日本愛国党の赤尾敏はビートルズが来日して日本武道館で公演することに猛反対した。最新の若者サブカルチャーを擁護するのはどちらかといえば左翼リベラル派、敵視するのは保守愛国派という時代だったのだ。

 ナンセンスな笑いやパロディ要素、痛烈な社会批評を織り込んだ作品も大量に残した。1986年刊行の『ぼくたちの好きな戦争』は、下町の若者の視点で戦争を描きつつ、日本製品がアメリカを席巻したバブル期の世相を反映し、日本がアメリカを文化的に征服してしまう。いわば、日独が第二次世界大戦に勝利した世界を舞台にした、フィリップ・K・ディックの歴史改変SF『高い城の男』のコメディ版といった雰囲気だ。

 はたまた、メディア業界人としての視点を反映した作品も多い。1993年刊行の『怪物がめざめる夜』 は、「メディア時代のフランケンシュタイン博士の怪物」の物語だ。4人の放送作家がつくりだした架空のキャラクターを演じていた男が、若者たちのカリスマになるや、生みの親に反逆してファンを扇動し、サイコホラー的な展開になっていく……この話、題材をVtuberに置き換えれば2020年代にも通用しそうではないか。

 このほか、小林信彦が残した仕事は書ききれないが、エッセイや体験をもとにした小説は、個人的な主観と記憶で書かれた部分も少なくない。先に触れた『ミート・ザ・ビートルズ』は時代考証の細部をめぐって音楽評論家の松村雄策と論争になった。『本音を申せば』には、たまに小林の記憶違いによる誤記もある。当人も正確な資料を残すというより、おじいちゃんが体験記を語り伝えるような感覚で書いていたのではないか。こうした留意点を割り引いても、戦前、高度経済成長期、バブル期までを含めた昭和平成の「時代の空気」の傍証として、小林信彦の仕事が無視できないのは間違いないだろう。

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