『あなたのいない世界で』原田ひ香が語る創作の原点と19年の歩み「まだまだ書くことはやめられない」

 「お金」「食」「老い」など生活に密着したテーマで人気を博す小説家・原田ひ香が、デビューからの19年間を凝縮した自選中短編集『あなたのいない世界で』(光文社)を刊行した。未発表作を含む珠玉の作品集には、著者の源流である純文学時代の名作や「これだけは読んでほしい」と願う渾身の物語が並ぶ。直木賞候補を経て新たな節目に立つ著者に、収録作に込めた創作の背景や物語への想い、19年の歩みとこれからの執筆への意気込みを聞いた。

過去作と向き合い、自ら作品を手繰り寄せた集大成

原田ひ香氏

――今回、なぜ自選というかたちで中短編集を刊行しようと思われたんですか。

原田ひ香(以下、原田):前々から、あちこちにちらばっている中短編を1冊にまとめたいとは思っていたんですよ。アンソロジーと呼ばれる、同じテーマでさまざまな作家が寄稿するタイプの本は、たしかにそのテーマに惹かれる読者に手堅く売れるけれど、ものすごく広く読まれるわけではない。私の小説を好きで読んでくださっている方でも、アンソロジーに収録された作品は知らない、ということも多いんですよね。いずれどこかで、と思っていたときに光文社の編集さんから「昔書いた未発表の作品がひとつありますよ」と言われて。それが3編目の「まつしま」なのですが。

――ロンドンで暮らす女性が恩師と手紙のやりとりをする物語ですね。主人公の世話になった人が何かしらの罪で実刑を受けたらしい、とわかるところから、女性がその罪にどう関わっていたのかが少しずつ明かされていく。それが、主人公が現代語訳する「まつしま」という古典の物語とも重なっていく……。

原田:2010年に書いたものなので、正直、自分としては「どうなんだろう」という気持ちがあったんです。「まつしま」に限らず、過去に書いた作品ってどれも自信をもてないというか、自分では平静にジャッジできないんですよね。でも担当さんに「すごくおもしろい」と言ってもらえて。「まつしま」を起点に、別れみたいなことをテーマにした作品を集められるかもしれないと思ったんです。それなら「失踪クラブ」も入れられるかもしれない、とも。タイトルどおり、人が失踪する話だし、前々からみんなに読んでほしいという気持ちがあったんですよ。

――「失踪クラブ」、個人的にはいちばん好きでした。まわりで続々と人が失踪することを元同僚に打ち明けられるシーンがありますが、「失踪につきまとわれてる」という表現もおもしろくて。

原田:ありがとうございます。小説家としてデビューする前、シナリオの仕事をしていたんですけど、映像業界にはけっこう、「飛んで」しまう人がいるんですよね。つまり、突然、音信不通になってしまう人が。といっても、三日くらいしたら何事もなかったように戻ってくる人もいるんですけど、私の知り合いには戻ってこなかった人もいて。調べてみたらお金をおろした形跡もあるし、映像を確認したら誰かに脅されているとか事件性のあるものではなさそうだ、ということでそのまま放置するしかできず、結局その人は退職してしまったんじゃなかったかな。そういう経験をしていたので、ずっと「失踪」というものを描きたいと思っていたんですよ。

純文学からエンタメへ。心情を深く煮詰めていた原点

原田ひ香『あなたのいない世界で』(光文社)

――失踪できる人とできない人の境目ってどこにあるんだろう、といろいろ考えてしまいました。作中にもありましたが、明日失踪しようと思ってできるものではない。たぶん、特別なことがあったからというより、ぽんっと何かのはずみで、突然起きてしまうものなんだろうなと。

原田:そうなんですよね。だから、自分にはできないなと思っている人だって、いつそのはずみが起きて、失踪してしまうかもしれない。意外と他人事ではないという感じも含めて描いたあの作品をきっかけに、集英社の方から「思いきりエンターテインメントに振った作品を書いてみませんか」と言われ、書いたのが『東京ロンダリング』でした。北上次郎さんが解説を書いてくださったり、あの作品をきっかけに声をかけてくださる方も増えたので、私にとってはエンタメの入り口となった思い出深い作品でもあるんです。だから、より、いつかどこかで出したいという気持ちが強かった。失踪については、『東京ロンダリング』の続編でテーマにはしたんですけれど。

――『事故物件、いかがですか? 東京ロンダリング』(単行本刊行時は『失踪.com 東京ロンダリング』)ですね。

原田:その作品に登場する、失踪者の調査を行う会社「(株)失踪ドットコム」を営む仙道というのは、まさに「失踪クラブ」に出てくるその人です。なので、同作をお読みの方には前日譚としても楽しんでいただけるんじゃないかなと思います。本当は、この作品を一作目におきたかったんですけれど、担当さんからは読みごたえのある「AS AS AS」から始まるほうがいいと言われて。最初は「えー」と思ったんですけど(笑)、ゲラで読み返してみたら確かに最初にぐっと読者を引きこむ作品としてありかもしれないなと思いました。

――かつての親友の危篤を知らされた主人公が、北海道から東京へと飛ぶ話ですね。二人の過去や、意識のない親友との会話も、もちろんよいのですが、その知らせがあったことを義理の母がすぐには伝えず、あえて夕飯時になってから言うとか、夫と営む牧場の経営が厳しい主人公が駆けつけるための経済的な算段をするところとか、細かな描写がとてもよかったです。

原田:私も一時期、北海道に住んでいて。当時は今以上に飛行機代が高くて、食うに困る生活でなくてもギリギリの暮らしのなかでは、東京に行くことなんて考えられなかった。「明日急に帰らなきゃいけない」なんて状況では、なおさら。掲載紙の『すばる』は純文学の雑誌なので、当時は明るくふりきったものよりもやっぱり、深く深く心を追い詰めていくような作品を書く傾向があって、そうした描写が重なったんだと思います。だからというわけではないですが、私にとっては数少ない「人の死によって涙する話」でもあります。以前、「原田ひ香はあざとく人の死で泣かせようとしないのがいい」という感想を見かけたことがあるのですが、単に、「AS AS AS」で書いてしまったから、他ではやっていないというだけなんですよね。

短いからこそ濃縮できる、短編小説ならではのキレと魅力

――初出を見て、「そうだ、原田さんは純文学の出身だった」と思いだしたのですが、そういう意味でもこれまでと異なる読み心地に引き込まれる読者は多い気がします。

原田:当時は、デビューするなら純文学だと思い込んでいたんですよね。『東京ロンダリング』をきっかけに、自分が請われている場所で、薦められていることをやるのも必要だ、とエンターテインメントも書くようになって。かといって純文学をやめたわけではないのですが、純文学の場合、何度も何度も推敲して、物語を、心情を深く煮詰めて描いて、それでもいつ本になるかはわからないので、自然と離れていってしまいました。でも、こういう作品を今でも書きたい気持ちはありますし、そのためにも、みなさんに読んでいただきたいなと思ったんです。

――今回の中短編集は、なんだか村上春樹さんの小説を読んでいるときと似た読み心地があったんですよ。もちろん作風は全然違うのですが、人はみな自分の意思で生きているようで、ふとした瞬間にまぎれこんだ何かに誘われ、思いもよらぬ場所へと連れていかれることがある、という感覚は、村上さんの小説を読んでいるときに近いものがあるなと。

原田:都会の地下にひそむ“やみくろ”とか、突然かかってくる電話とか、自分の力ではどうすることもできない何かに動かされて巻き込まれていく。村上さんの描く世界観は私も好きで、それを追いかけて小説を書きはじめたところがあるので、今回収録されている純文学時代の作品には、確かに近しいところはあると思います。

――「まつしま」は秘書室のお話でもあり、原田さんが以前住んでおられた北海道やシンガポールが舞台の作品もあり、ご自身の経験に重なる作品も多い、という点でも、今作は原田さんの源流に触れられる作品集とも言えますね。

原田:そうかもしれません。「パズルの国」を書いたのも、私自身がパズルを好きで、よくやっていたからですし。当時はまだ、自分がどんなものを書いていくのかもわからない、ただ頼まれたものを懸命に試行錯誤しながら返し、一つひとつ積み上げていくしかできなかった。未熟だった部分もあるから、読み返すことにためらいもあるけれど、こうして一冊になってみると、意外と悪くないし、頑張って書いていたなと自分でも思います。

――直木賞候補になった『#台所のあるところ』に収録された「冷凍庫冷蔵庫合わせて五台」は、かなりひやりとする読み心地で、原田さんの小説には珍しいように感じましたが、今作を読むとかなり突き放したラストを描かれていたり、さっくり刺されるような感触の作品も多いですよね。

原田:私は意外と短編が得意なのかな、と最近思うんですよ。長編は、連作短編のかたちだとしても、何か一本大きな筋を通してまとめなければいけないし、伏線を拾いながら先々へつなげていくことを考えなくてはいけない。でも短編は、短いなかにぎゅっと濃縮した物語を置いていくことができる。「あとで書こう」ができないからこそ、詰め込めるだけ詰め込んで、かつ、キレのよさを残さなくてはいけない。そうした作品が確かに、今作には多いような気がします。

直木賞候補を経て芽生えた新風

――「ファーストクラスラウンジ」のように、不穏さの漂う、ミステリーっぽい作品も印象的でした。正規でファーストクラスのチケットを手配されているのに、本当はそれを使うような人間じゃないと見抜かれているのかもしれないと不安やほのかな怒りを抱く主人公。そのさらに奥には、思いもよらぬ真実が隠されている……という。

原田:私も実は一度だけファーストクラスラウンジに入ったことがあるんですよ。本当はビジネスクラスのラウンジに行くはずだったのを、何かの特典でアップグレードしてもらって。間違ったことは何もしていないのに、なんだか落ち着かないんですよね。自分はそこにいるべき人間ではないんじゃないか、まわりからもそれを見抜かれているのではないか、とそわそわしてしまう。そこに漂う、人の選別意識みたいなものも含めて描いてみたいなと思いました。川端康成「三等待合室」(『掌の小説』所収)や森瑤子「一等待合室」へのオマージュでもあります。

――ラストは「夏のカレー」。『いただきますは、ふたりで。 恋と食のある10の風景』というアンソロジーに所収された作品で、その後、日本文藝家協会による現代の短編小説ベストセレクションにも選ばれました。

原田:『夏のカレー 現代の短篇小説ベストコレクション2024』と、刊行時のタイトルにも選んでいただき、とても光栄でした。六十歳の主人公が葬儀から帰ってきたら、二十歳の時に出会ったある女性が待っていたというお話で、なぜ二人が結婚に至らなかったのかを回想とともに描いているのですが、シチュエーションの構想自体は、純文学時代からあたためていたんです。とある男女が三日間くらい何かの理由で同じ部屋に閉じ込められて、延々と過去の話をし続ける。なんで結婚してくれなかったんだとか、あのときのあれはなんだったんだとか、責め続ける女に黙っていた男もついに反論する……みたいな。でも言い争いながらもちゃんと二人でごはんをつくって一緒に食べる、みたいなことを描きたかったんですけれど、なかなかうまくいかなくて。でも、30~40代を描こうとしていた当時より、60歳の主人公を設定した今のほうが、長い年月をふまえた物語の余韻を生むことができた。2年前の作品ですが、今だから書けた小説だなと思っています。

――デビューされて19年。20年目を迎える前に、こうしたご自身の原点をふりかえる作品集を編まれて、いかがでしたか。

原田:たしかにデビューしてからは19年なんですけど、『三千円の使いかた』をきっかけに本が売れるようになってからは、まだ4~5年目くらいなんですよね。今年56歳になり、還暦もそろそろ見えてきたところで、私としては、一種の終わりに向かっているような感覚があったんですよ。ところが今年になって、思いがけず直木賞の候補に選ばれ、また何か新しいものが生まれそうな予感が芽生えてきた。この本を出すことは候補になる前から決まっていましたが、一つの節目としてぴったりだったんじゃないかなと思いますし、まだまだ書くことはやめられないなと、気持ちを新たにするいい機会になりました。これからも、こうした純文学系の作品をふくめて、自分にできる限りの物語を生み出していきたいと思っています。

■書誌情報
『あなたのいない世界で』
著者:原田ひ香
価格:1,980円
発売日:2026年9月25日
出版社:光文社

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