マルチクリエイター Payao、Amazonでの会社員経験を経て“言葉”と向き合う今 右脳と左脳のハイブリッドで生まれる音楽とは

 Twitterのユーザー名は、「Payao|言葉ジャンキー」(@junkysugar)。歌詞にこだわった曲作り、言葉を伝えることに重きを置いたMVやグッズによって、確実に注目度を上げているPayaoは、京都在住のマルチクリエイターだ。

 元Amazon Japanの社員で、現在はIT系会社の経営を行いながら、シンガーソングライター、詩人、写真家など幅広い分野で活動。毎週テーマを決めてユーザーに詩を投稿してもらうTwitterアカウント「深夜の二時間作詩」も運営するPayaoに、右脳と左脳のハイブリッドを生んだ特殊なキャリアと「自分の活動によって自己肯定、自己受容の力を高めてほしい」という創作のモチベーションなどについて聞いた。(森朋之)

Amazon Japanに就職後、音楽を聴くことすら苦しくなった時期も

ーーPayaoさんは2018年に活動をスタート。まずは創作活動をはじめた経緯から教えていただけますか?

Payao:遡って話をすると、4歳からヤマハ音楽教室でエレクトーンを習い始めたのが最初ですね。小学校3年生のときにオリジナル曲を作る授業があって。童謡みたいなメロディを作る子が多かったんですけど、僕は短調のJ-POPっぽい曲を作ったんですよ。いい意味で異質だったみたいで、とても褒められたんです。そのときに創作の面白味みたいなものを知って、そこから毎日、作曲するようになって。鍵盤を弾くことも、頭のなかでメロディを考えることもあるんですけど、曲を作らなかった日はなかったですね。

ーーそれくらい曲作りが楽しかったと。当時はどんな音楽が好きだったんですか?

Payao:シャ乱Qは聴いてましたね。あと僕の母親が作詞家だったんですよ。やっていた時期は短いんですけど、どうやら和田アキ子さんの曲の歌詞などを書いていたみたいで。家にも詩的な本ーー『星の王子さま』とかーーが置いてあったし、小さい頃から言葉のチョイスにはいつも興味があった気がします。たとえばサザンオールスターズの「TSUNAMI」の〈見つめ合うと素直にお喋り出来ない〉という歌詞を聴いて、「“お喋り”って面白いな」って引っかかったり。中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」(井上陽水作詞作曲)もそうですけど、曲を聴くときも言葉を特に意識していたんですよね。

ーー小学生の頃から、「曲を作る人になりたい」という気持ちはあったんですか?

Payao:いえ、その頃はただ「メロディを作るのが趣味」という感じでした。当時は「音楽をやっているのをみんなに言うのがなんだか恥ずかしい」という空気があって、中高とバスケ部だったんですよ。でも陰で曲だけは作り続けていて、高校を卒業する頃には40曲くらい入れたフロッピーディスクが12枚くらいありました(笑)。

ーー500曲くらいストックがあった、と。

Payao:はい。大学は地元の名古屋だったんですが、さすがに「この曲たち放出しないと後悔しそうだな」と思って。でも一緒に音楽をやる仲間を探すのもすごく苦戦して、バンドは諦めて、まずレコード会社にデモ音源を送ったんです。当時はかなり音数を重ねた曲が多かったんですけど、いくつかの会社から連絡をいただいて、<ソニーミュージック>と育成契約したんですよ。そこから名古屋地区の担当者の方と一緒に社内プレゼンのために曲を作りはじめて。その時、大学も休学して制作していたら、ちょうどプレゼンのタイミングで震災が起きたんです。会社的にも「新人発掘どころじゃない」という感じで、話が流れてしまって。

ーーせっかく掴みかけたチャンスがなくなった。

Payao:そうなんです。もちろん諦められないのでいろいろ方法を探って。その時期にTwitterが流行り始めたこともあって「数字的なインパクトがあれば、再度プレゼンできるかもしれない」という話から、サイトを作って頂いて、音源をダウンロードできるようにしてもらったんです。同時にSNSマーケティングも勉強してやり始めて。

ーー2011年頃は、TwitterなどのSNSを使ったプロモーションが盛んになりはじめた時期ですね。

Payao:僕がやり始めた頃は、SNSのマーケティングをしっかりやってるアーティストはまだ少なかったと思います。確か半年で1万5000ダウンロードまでいったんですけど、そのときに「レコード会社に所属するよりも、WebやITを学んでいきたい」と思って、IT系の会社を中心に就活して、Amazon Japanに就職したんです。ところが仕事があまりにも大変で、音楽活動を休まざるを得なくて。手伝ってくれる仲間もいなくなって、かなり挫折感を味わいました。音楽を作ることはもちろん、音楽を聴くことすら苦しくなっていきましたね。

ーーそこからどうやって音楽活動を再開させたんですか?

Payao:ある程度、仕事に余裕が出てきた時期に、「もう一度音楽をやってみよう」と思ったんですよね。仕事を持ちながら活動しているアーティストも知ったし、自分が主導権を持って活動すれば、切り開けるかもしれない。そこから2年くらい準備をして、Payaoとして活動を始めたのが2018年ですね。Amazonでの仕事のなかで、数字的な見方もかなりできるようになったし、「どうすれば拡散されるか?」という感覚で活動しました。アーティスト自身がそれを考えるのは、当時としては異質だったかもしれないです。

ーー最初に発表した楽曲は「Pororoca」(2018年4月)。当初は“実験的なポップス”を志向し、サウンド的なクオリティを追求していたとか。

Payao:やっぱりアーティストなので楽曲制作に関しては、そこまでマーケットを意識せず、逆にとにかく好きなものを創ることに拘りましたね。

ーーそして2018年5月に発表した「四季折々」が話題を集めます。書道家が登場するモノクロのMVも印象的でしたが、アレンジャー、映像作家など様々なクリエイターとのつながりも多いですね。

Payao 【四季折々 】Music Video

Payao:ずっとプレゼンしてました(笑)。パワーポイントで資料を作って、「こういう野心を持って、こういう曲を作って、こういうマーケティングをやります」と説明して、少しずつ協力してくださる方を増やして。一つ作品ができると、それをもとに次のプレゼンができるし、少しずつつながりを増やしてきた感覚もありました。

ーーアーティストでありつつ、起業家でもあるというか。

Payao:そこもたぶん、他のアーティストと違うところかもしれません。アーティスト写真、MVも自分で素材を集めて、「こういうものを作りたい」と話しながら制作を進めています。サイトやマーケティングを含めて、今でもすべて自分でディレクションしています。

ーーなるほど。そして、2021年からは“令和歌謡”をテーマに、歌詞に重きを置いた楽曲制作にシフト。

Payao:レーベルや音楽関係者からの楽曲に対するフィードバックのなかで、「多くのファンを持っているアーティストは言葉を大事にしている」と改めて実感して。「ドン・キホーテで流れたときに、ふと“いいな”と思えるか」「ラジオで10秒だけ聴いたときに、印象に残るか」という視点をくれる方もいて、「金木犀」という楽曲から、“言葉が耳に残る”“いい意味で違和感がある”ということを意識しはじめました。

ーー「金木犀」は切ないラブソングですが、歌詞をもとにした小説や「燃やす写真集:“燃やすと金木犀の香りがする写真”」という紙のお香も作られてますね。

Payao:小説を載せたブックレットと紙のお香をセットにして販売しています。「金木犀」の歌詞は、先に物語を作って、その主人公になり切って書いたんですよ。そこから「小説にしてみたらどうだろう?」というアイデアが出て、当時18歳だった女性の作家さんに書いてもらって。さらにMVを作った後、「この曲をどうやって広げようか」と考えたときに、金木犀の香りをもとにした「何か」を作ってみようと思ったんですよね。兵庫県淡路島のお香の業者を見つけて、「燃やすと金木犀の匂いがする紙のお香を作りたい」「写真を印刷することはできますか?」と相談させてもらって。映画やドラマなどで、“失恋して、思い出の写真を燃やす”というシーンがあるじゃないですか。あれを実際にやれるグッズを作りたかったんですよね。

Payao 【金木犀 】Music Video

ーーやはり、アーティストの活動範囲を超えてますよね。

Payao:そうかもしれないです。企業で働いた経験があるからか「直接伝えたほうが早い」とか「今度ごはんに行きましょう」というところからつながることもあって。オフライン・オンライン問わず、感覚的な話もロジカルな話もその時々でしますが、根本にあるのは、自分の音楽を聴いてくれる場所を増やしたいということなんです。音楽家とIT、右脳と左脳のハイブリッドで、ライブやSNSだけではなく、雑貨屋でもメタバースでもいろんな場所で僕の言葉に出会える機会を作りたい。

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