いま振り返る名作『ロックマンエグゼ3』:「生命」としてのインターネットとAIとのコミュニケーション

『ロックマンエグゼ3』における「見立て」の想像力

 同作のラスボスは「プロト」と呼ばれる「怪物」である。プロトはデジタル空間のあらゆるプログラムを無限に飲み込み続けてしまい、やがてはインターネット社会そのものを崩壊させてしまうとして、科学省のもとで厳重に凍結・保管されていた。しかし悪の組織WWW(ワールドスリー)はプロトを開放することで、インターネット社会を崩壊させようと目論んでいたのだ。

 そして驚くべきことに、プロトは元々「初期型のインターネット」であったということが明かされる。インターネットプログラムが何らかの異変で意志を持ち、次々とプログラムを飲み込む怪物へと変容してしまったのだ。

 ここでは「見立て」の想像力がインターネットというシステムに向けられ、そこに意志が見出されている。インターネットが意志を持った生命と化すというのは、それこそ「想像」しにくいかもしれない。そのためかプロトは一言で「生命」といっても、ただあらゆるデジタルプログラムを飲み込み続ける得体の知れない存在として、まさに「奇形」的な怪物として描かれている。

 このようにプロトというキャラクターをみると、『ロックマンエグゼ3』においては日本的な「見立て」の想像力が強力に、そして特異な形で使われていることが分かるだろう。そしてさらに、同シリーズのラスボスの変遷をみると、この想像力のスケールがどんどん大きくなっていることも読み取れる。

 シリーズ第1作『ロックマンエグゼ』におけるラスボスは、ドリームウイルスという「ネットウイルス」だった。そして第2作『ロックマンエグゼ2』では、ゴスペルと呼ばれる「バグ」の集合体がラスボスとして登場する(ここでも「バグ」という「現象」に生命が見立てられている)。そして『ロックマンエグゼ3』のプロトは「インターネット」である。つまり、ウイルスという「ソフトウェア」からバグという「現象」、そしてそれらを内包するインターネットという「システム」へと、想像力の向かう先がより大きなスケールに変化しているのだ。

 元々「エグゼ」シリーズは『3』で完結する予定だったと言われており、作品を重ねるごとにラスボスのスケールを大きくすることは当初から構想されていたのかもしれない。いずれにしろここでは、もはや捉えどころを見定めがたくなっているほどに、「想像力」のスケールが増していったという事実を確認しておこう。

「意志」を持つインターネット

 ここまで「インターネットに意志を見出す」というのはいまいち「想像」しにくい、ということを述べてきた。このことは、『エグゼ3』製作陣の想像力が豊かであったことを示すとともに、いま考えると別の視点が現れてくるような気もしている。

 つまり「インターネットが意志を持っている」ということは、現代ではもはや自明になっているために、かえってそのことが分かりにくくなっているのではないかということだ。

 例えば筆者は「Googleが○○した」という文言を見たとき、「Googleの誰か特定の社員が○○をした」のか、「Googleというサービス自体が○○をした」のか、正直なところ曖昧なまま捉えてしまっている。あるいは「NETFLIX”が”おすすめする映画」「Apple Music”に”レコメンドされる音楽」と言うとき、私たちはそれらのサービスに意志を見立てていると言えなくもない。またあるいは、IT業界に通ずる人なら「”SEOの評価”が高い」などと日常的に口にしているかもしれない。

 もちろんだからといって、すべてのネットユーザーが「見立て」の想像力を日常的に発揮するようになったとは言えないし、そんなことは確かめようがない。「いちいちそんな想像力とやらを使っている自覚はない」という反論もあるだろう。

 しかしそうだとしても、いや、むしろそのような自覚がないからこそ「意志を持つインターネット」はある程度自明のものとして捉えられているとも考えられる。少なくとも文体的には、インターネットの機能を擬人化する発想が広まっていると言ってだろう。

 そのような社会で現代人はどう生きるべきか、といったことは筆者が語れる領域ではないが、代わりに冒頭のテーマに戻ってこのコラムを締めくくりたい。

 「未来を想像するのは難しい」と最初に述べた。しかし過去の文化作品を思い出してみると、常に何らかの形で未来が想像されていたことに気付かせてくれる。『ロックマンエグゼ3』で想像された未来が、現代では部分的にはもはや当たり前のものになっている。そのことを考えれば、いまの私たちも何かを想像できるのではないかと思えるし、そのようにして見たこともない新しい作品が生まれるのではないかと、期待に胸を膨らませることもできる。

 とりあえず、「ロックマンエグゼ」シリーズの続編が作られる未来を「想像」してみてもいいかもしれない。

【参考書籍】
三宅陽一郎『人工知能が「生命」になるとき』(PLANETS、2020年)

■徳田要太
フリー(ほぼゲーム)ライター。『スマブラ』ではクロム使いで日課はカラオケ。NiziUのリク推し。

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