『ポリティカルパン』が描く「政治とカネ」の問題 “250円”から浮かび上がる社会の本質

 弥生(石原さとみ)が琥珀(山口紗弥加)に問われた、泥棒「おすし」の心得。「お=大きいところは狙わない」、「す=速やかに仕事する」、そして「し」は……。

その弱さが、大きな夢を見る力になる

 『ポリティカルパン』(フジテレビ系)第4話は、琥珀の登場によって、弥生のペースが乱される。手近に盗みを働く。「うちらは所詮こそ泥」と言い放った琥珀。それは、一般的な規律にとらわれないはずの泥棒ですら、大きな夢を見るのが厳しいニッポニアの現状とも言える。

 それでも「大泥棒」という夢を掲げる弥生に、師匠である琥珀が見せた親心。それは、弥生を出し抜いてお宝を奪い去り、「大泥棒はこのあたし、そのほうが都合いいだろ?」と、ピンチを脱出してみせることだった。そのうえで琥珀は弥生に釘を刺す。「おすし」の心得の「し」は「信用しない」。「情が深いのが、お前の弱点だ」と。この言葉、後の展開の大きな伏線になる気配しかしない。

 だが、情があればこそ、弥生は「大泥棒」の夢を掲げ続けられるのだ。首相官邸内の金庫に眠る官房機密費を奪った暁には、好きな人たちに配りたいと話していた。弥生を動かしているのは、金ならなんでも盗めばいいという気持ちではない。自分のためだけでは見られない夢も、誰かの幸せを願うことで追いかけられる。それは、泥棒である弥生と政治家を目指した雅(河合優実)という、立場の大きく異なるふたりの、唯一とも言える共通点でもあった。

 しかし、泥棒も政治家も綺麗事ばかりを言ってられない。それくらい、ニッポニアという国のお金の流れには、それぞれの「利己」が複雑に絡み合っていた。大企業は自分たちを優遇してもらおうと政治家に献金する。その結果、お金の有無が権力の強さにつながり、政治の歪みを生んできた。

 もちろん、この「政治とカネ」の問題を解決しようと、度々法改正もされてきた。だが、ルールが変更されるたびに、抜け穴も生まれた。献金に規制がかかればパーティー券を売り、パーティーへの風当たりが強くなれば、勉強会、セミナー、〇〇と語る会などと名前を変える。さらに、支払いが原則として口座振込に制限されても、「当日参加」という体でなら、現金払いも一部認められる。その巧妙さには泥棒の弥生も「泥棒より、よく考えてる!」と舌を巻かずにはいられない。

同じ250円に、違う人生がある

 約30年前には、企業献金の流れをなくす代わりに、国民1人当たり250円を負担する形で「政党交付金」が生まれた。だが、依然パーティー券などでの収入はなくならず、「企業・団体献金の廃止」という約束のもとで集められ始めたお金は、30年間流れ続けている。

 たった250円、されど250円。その総額は30年で1兆円にのぼる。決して無視できる金額ではない。それでも多くの政治家にとって、250円など気にもとめない金額なのだろう。だが、弥生には、その250円を手に入れるために、大量の空き缶を拾って歩いた日々があった。夏目(高橋一生)は、その250円で電話が止められ、助けを求めることができずに命を落とす人がいる、と話した。

 そして雅は、その250円で「とびっきりのごちそうみたいに食べる、そんな人生を知っていたら。私はもっと色んな人の気持ちがわかる政治家にふさわしい人間になれてたんじゃないか」とスピーチした。250円のコンビニのハロハロを食べさせてもらえずに、2500円のフルーツパーラーのパフェを与えられて育った雅。「今の私の何が残念かって250円に対する想像力がそれくらいしかないこと」だとも。

 250円が国民1人ひとりにとって、どんなお金なのかと想像できるかどうか。そして同時に、自分の想像が及ばないことを自覚し、実態を知ろうと歩みよる。それが未来を切り拓く大きなヒントなのだと気付かされる言葉だった。

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