『インサイド・ヘッド』は万国共通のキャラ表現を達成 感情をめぐる普遍的アニメーション

 10月9日に日本テレビ系の『金曜ロードショー』で放送されるディズニー/ピクサーの『インサイド・ヘッド』(2015年)は、人にとって大切な感情というものの有り様を、キャラクターによって子供にも大人にも分かりやすく見せ、自分のものとして感じ取れるようにしてくれるアニメーション映画だ。

 生まれたばかりの女の子の赤ちゃんは、感じたり聞いたり見たりすることのすべてが楽しさに満ちていて、毎日を明るくニコニコとしながら成長していく。そんな赤ちゃんの中に、やがて、自分が嫌だと思うことをさせようとする相手に、ムカムカと反感を覚える感情が芽生え、怒って相手を威嚇するイカリの感情が芽生え、危ないことをしようとすると止めるビビリの感情も芽生えていく。赤ちゃんはそんな様々な感情を出し入れしながら子供へと成長し、毎日を送るようになっていく。

 成長していく人間が、どのように感情というものを育んでいくのかを表すとしたら、客観的にはこうした言い方になるだろう。なぜなら、人の心の中は外からではうかがい知ることができないからだ。それならたとえば、赤ちゃんも子供も大人までも含めた人の中に、ヨロコビやイカリやムカムカやビビリといった感情を司るキャラクターたちがいて、コンソールを操作しながら人の感情の面倒を見ているのだとしたら?

 『インサイド・ヘッド』はそうした想像を、ドラマチックなストーリーの上に描いてみせた作品だ。

 始まりはヨロコビから。アメリカのミネソタ州に生まれたライリーという女の子の中にいて、ライリーが毎日を楽しく過ごせるよう、司令部のコントロル・パネルに触って感情を操作している。そこにイカリが加わり、ムカムカやビビリも加わって、ライリーが毎日を無事に過ごせるように司令部から見守っている。

 科学的に言えば、人間の中に感情を操るキャラクターなど存在しない。けれども、ヨロコビたちが奮闘する姿を見ているうちに、自分の中にも本当に、そうした感情を司っているキャラクターたちがいて、喜ばせてくれたり怒らせたりむかつかせたりセーブをかけたりしてくれているのかもしれないと思えてくる。

 感情というものをまだ客観的に見られない子供たちには、自分の中にある様々な感情を、ヨロコビたちを通して認識していくことができる。自分のままならない感情は、もしかしたらそうしたキャラクターたちによって動かされているのだと思うことで、ザワザワとしていた気持ちをちょっぴり冷やして、冷静になれる。その意味で『インサイド・ヘッド』は、子供に感情の意味を教える役割を持った作品だ。

 感情の“正体”を知っている大人たちも、キャラクターになぞらえられたいくつもの感情が、出たり入ったりしながら人の心を操っている状況を見て、自分の中でいろいろな思いがせめぎ合っていることを、改めて知ることができる。あるいは他人の感情の機微を感じ取って、寄り添うことができる。

 物語そのものから喜びや怒りといった感情を覚える映画ならいくらだってある。そうではなく、物語の中で感情といったものがどのように育まれているのかを見せてくれた映画は他にない。人間という感情を持った存在そのものを主人公のようにして見せ、自分自身を省みさせてくれるところに惹かれた人が大勢いたことが、『インサイド・ヘッド』を世界興収8億5800万ドルというヒット作にしたのかもしれない。

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