『ポリティカルパン』が仕掛ける“政治×怪盗”の面白さ 野木亜紀子らしい鮮やかな“入口”
水10ドラマ『ポリティカルパン』(フジテレビ系)の主人公・如月弥生(石原さとみ)は、泥棒だ。しかし、単なる金品を奪うだけの盗人でもない。忍び込んだ家で主人が孤独死を迎えていれば、涙を流してそっと朝まで寄り添う。募金箱を見かければ、どんなに懐がさみしくてもお金を入れる。子どものころからの夢は“大泥棒”。それは、大好きな人たちが楽しく生きられるように、盗み出した大金をあげたいから――。
泥棒は“悪”。そうだとわかっていても、物語が進むにつれて彼女を応援したくなっていく。しかも彼女が次に狙いを定めたのは、使われ方が不透明な「ポリティカル・マネー=政治の金」だ。それは、限られた人にしか触れることが許されないお金。だが、もとは国民の血税である。彼女は、奪いにいこうとしているのか、それとも奪い返そうとしてくれているのか。
舞台は、架空の国・ニッポニア。この国の実情は、なかなか大変なことになっている。国民の収入はどんどん目減りし、政治家は少しでも不都合があれば水に流すべく解散を繰り返す。総選挙費用は、およそ900億円。それだけのお金があれば、国民の暮らしを潤すあんなこともこんなこともできたというのに。
そんな好き勝手をされているにもかかわらず、国民は政治には無関心だ。それどころか若者は、大きな夢を語れば笑われると自分の可能性を自ら封じ、年配者は人に迷惑をかけたくないと孤独に逝く。でも、どうせ自分たちが何をしても変わらない。そんな諦めにも近い空気がただようニッポニア。ああ、これが日本の話じゃなくてよかった。なんて胸をなでおろしている人は、きっといないだろう。だって、この物語に今の日本を投影せずにはいられないような実感が、そこかしこにあるから。
振り返れば、日本ではたびたび「義賊」と呼ばれるダークヒーローに夢中になってきた。古くは石川五右衛門、鼠小僧、弁天小僧、そしてルパン三世……。金持ちや権力者から財宝を鮮やかに盗み出し、ときには天下人の懐にまで忍び込む痛快さ。誰もが逆らえないと思っていた存在に「いただいていくぜ」とやってのける。手に入れていたのは金銀財宝以上に、権力者にも一泡吹かせることができるという「溜飲」だったようにも思う。
貧富の差が広がった時代には、富める者に集中したお金を「再配分」してほしいという願いを。社会の仕組みに縛られる時代には、「自らの流儀を貫くカッコよさ」を。義賊とは、その時代の人々が感じていた「自分にはどうすることもできない」ものを背負ってきた。
『ルパン三世 カリオストロの城』のラストで、宿敵・銭形警部がヒロインのクラリスに「奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」と告げたシーンはあまりにも有名だ。ルパンを捕まえるべく追いかける、いわば異なる正義を貫く銭形警部にさえ、こんな粋なことを言わせる。そんなルパンが謳歌する「孤独ではない自由」が、眩しく映った人も多いだろう。
では、“女ルパン”である弥生に、令和の時代、私たちは何を代わりに盗んでほしいのか。それは、本来私たちのものであったはずの「政治」そのものだ。とはいえ、今の日本では政治の話を正面からすると、少し身構えてしまうこともある。だから、このドラマも「現代日本の政治を取り戻す」なんて前置きはしない。まずは、「架空の国・ニッポニアでキュートな大泥棒が政治の金を盗む」エンターテインメントとして見せる。そのうちに、まったく別の国の話とは言い切れない感覚を抱く。現実から半歩だけ離すことで気付かされるのだ。