小泉今日子が放つ“変わらない輝き” 『最後から二番目の恋』が愛され続ける理由とは?
この春、月9に帰ってきた『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)。11年ぶりの続編というニュースが届いた時、正直少し驚いた。「あの作品を今、またやるのか」と思ったのだ。シリーズをリアルタイムで追ってきたわけではない私にとって、そのタイトルには“なんとなく聞いたことのある名作”という印象があったに過ぎなかった。だが、情報を追いかけていくうちに、なぜこのタイミングで彼らが帰ってくるのか、その意味を考えるようになった。そして自然と目が留まったのが、小泉今日子がこの作品で再び吉野千明を演じるという事実だった。
今作で描かれるのは、千明59歳、和平63歳という設定の2人が迎える“その後の日々”だ。鎌倉という変わらぬ舞台を背景に、変わったようで変わらない、けれど確かに年齢を重ねた彼らの姿。そこにどんな時間が流れているのか。私たちはこの作品を通して、人生のなかにある“変化と継続の間”を見つめることになる。
小泉が演じているのは、テレビ局で働くプロデューサー・千明。千明は、若い頃のがむしゃらさも自意識の強さも手放し、ある種いい意味で力が抜けた大人の女性だ。だがその柔らかさのなかには、いまだに揺れる感情も葛藤もある。仕事と人生への渇望、人付き合いの苦手さと、それでも隣人たちとのあいだで育まれていく温かい距離感。そうした複雑なニュアンスを、小泉は実にさりげなく、そして的確に演じてきた。彼女の表情や間の取り方、語り口に、どこかリアリティを感じるのは、きっとそれが“演技”という枠を超え、彼女自身の人生が重なるように映るからだろう。
本作における小泉の存在は、まさに“重心”だ。いや、それはどんな作品でもそうだったのかもしれない。近年の舞台でも映画でも、彼女の登場は空気を変える。けれども『最後から二番目の恋』シリーズにおいては、特に“日常を生きる等身大の女性”としての存在感が際立っている。彼女が演じる千明は、笑いも涙も、毒舌もユーモアも、すべてが自然体だ。だからこそ私たちは、画面の向こうの彼女に心を許してしまう。
また小泉自身のキャリアを思えば、この作品に込められた今の意味もより深く感じられる。1980年代のアイドルとしての爆発的な人気から、俳優、エッセイスト、舞台のプロデューサーとしての現在まで。長いキャリアのなかで、彼女はいつも自分で選ぶことを大切にしてきた。その姿勢が、そのまま千明という人物に流れ込んでいるように見える。
小泉は「変わらないことと、変わらなきゃならないこと。そんな大人の葛藤を今回も楽しんでいただけたら」と語っている。年齢を重ねることで見えるもの、手放すもの、あらたに始まるもの。今回のシリーズが描こうとしているのは、まさにそうした“大人の生活の真ん中”なのだろう。