『エール』古関裕而の代表曲「紺碧の空」ついに披露 応援歌はなぜ愛されるのか?

 第8週「紺碧の空」の最終日となったNHK連続テレビ小説『エール』。その週タイトルのとおり、現在まで歌い継がれる、早稲田大学応援歌「紺碧の空」がついに披露される。

 「紺碧の空」は、主人公・裕一(窪田正孝)のモデルとなった古関裕而が、実際に作曲を手がけた1曲。野球ファンならずとも、多くの人が知っている応援歌「大阪タイガースの歌(六甲おろし)」「巨人軍の歌(闘魂こめて)」を古関は後に手がけているが、古関の最初の応援歌であり、最初の代表曲といえるのが「紺碧の空」なのだ。

 『エール』本編では、裕一が早稲田大学応援団団長・田中(三浦貴大)から作曲の依頼をされるも、既存の曲と似たり寄ったりになってしまうと苦悶するさまが描かれてきた。特に裕一の頭を悩ませたのが<覇者、覇者、早稲田>の箇所。歌詞の変更を田中に相談するシーンも描かれていたが、<勝つ(カツ)>などの言葉に比べて、<覇者(ハシャ)>は、強さを出しづらく音がつけづらいという。が、蓋を開けてみればこのフレーズこそ、「紺碧の空」のもっとも印象深い一節となっているのだ。

 早稲田大学といえば、校歌『都の西北』の印象が強いが、実際に早慶戦で「紺碧の空」を聞いたとき、そのメロディーが強く印象に残ったのを覚えている。後の古関楽曲にも通じる親しみやすさと懐かしさ。<覇者、覇者、早稲田>のフレーズに向かって、階段を昇るように高揚した気分となる。慶應の応援歌「若き血」に対抗して作られたという経緯は『エール』でも描かれていたが、<慶應、陸の王者、慶應>と<覇者、覇者、早稲田>が、ある種呼応する形になっているのも面白い。

 また、何十年も歌い続けられる背景について、学生時代、早慶戦を訪れたことがあるというライターの麦倉正樹氏は、その思い出を次のように振り返る。

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