藤井 風バンドのグルーヴを支える佐治宣英――「1曲に1回くらい牙を剥く」、リスナー目線から生まれるドラミングの妙

 プロドラマー、佐治宣英。大学在学中の2000年頃からプロとして活動をスタートさせ、YUIのサポートで注目を集めた佐治。ずっと真夜中でいいのに。、和ぬか、JUJU、いきものがかり、レキシ、清木場俊介など、数多くのアーティストの活動を支え続けている凄腕ドラマーだ。2019年からは藤井 風のライブに参加。2024年の日産スタジアム公演、2025年の海外ツアーや今年の『コーチェラ』、2026年の最新ツアーに至るまで、バンドのグルーヴを支えるドラマーとして大きな役割を担っている。

 リアルサウンドでは、佐治にインタビュー。ドラムに興味を持ったきっかけ、プロとして活動しはじめた経緯、ドラマーとしてのこだわり、YUIや藤井 風とのエピソードなどについて語ってもらった。(森朋之)

きっかけはPOLICEーー佐治宣英がドラマーになるまで

ーー佐治さんがドラムを始めたのは15歳のとき。その前から音楽に興味はあったのでしょうか?

佐治宣英:そうですね。母親がピアノの先生だったんですけど、そこまで音楽が流れているような環境ではなかったんですよ。でも、兄がある時期からいきなり洋楽を聴き始めて。THE POLICE、Yes、King Crimson、フランク・ザッパ、スティーヴィー・ワンダーなどが家に流れはじめたんです。僕は小学生だったんですけど、なかでもPOLICEが気に入って。子どもながらに「このドラムはカッコいいな」と思ってたんですよね。

ーー最初に惹かれたドラマーはスチュワート・コープランド(POLICE)だったんですね。

佐治:はい。POLICEの「Omegaman」という曲で、ライドシンバルのカップ(中心の盛り上がった部分)を叩くところがあるんですけど、兄がそのパターンを覚えてて、僕に教えてくれたり(笑)。兄は音楽をやっていなかったんですけど、きっかけを与えてくれたことにはすごく感謝しています。初めてドラムを叩いたのは小学校5年のとき。調布から国分寺に移ったら、転校先の小学校にドラムセットが置いてあったんです。どうやら女性の先生がドラムの授業をやったみたいで。僕はエアドラムをやるような子供だったので、ドラムを叩いてみたくて。自分なりに「こうかな?」みたいな感じでやってみたら、エイトビートを叩けたんですよ。

ーーやはり素質があったんですね。

佐治:どうなんですかね(笑)。ただ、その頃はかなり勉強をがんばっていたので、ドラムのことは忘れて勉強に打ち込んで。実際にドラムを始めたのは、受験が終わって、高校に入ってからです。RCCドラムスクールに通い始めたんですが、わりと早い段階で「センスあるかもな」と思って。他のことは鈍いというか、得意なことなどもなかったんですけど、ドラムに関しては「レスポンスが早い」という感じがあった。そのときに「プロになるのもいいな」と思ったんです。自分にはほかに売りがないし、強みを活かすとしたらドラムしかない、これが自分の生きる道かもしれないなと。ここでまた兄が出てくるんですけど、「もしプロになるんだったら、もっと音楽を聴かなきゃダメだよ」みたいなことを言ってくれて。確かにそうだなと思って、いろんなものを聴き始めたんですよね。名盤とされてるものだったり、CDショップでレコメンドされてるものだったり、いろんなアーティストをむさぼるように聴いて。「ドラマーとして」という視点もありましたが、リスナーとして音楽自体をさらに好きになった時期ですね。

ーーいちばん惹かれたジャンルやアーティストは?

佐治:いろいろ聴いてたんですけど、いちばん好きだったのはプログレバンドのRushですね。あとはビル・ブルーフォード。Yes、King Crimson、Genesisなどを渡り歩いたドラマーなんですが、ブルーフォード名義でソロ活動もやっていて。ディスクユニオンの新宿プログレッシヴロック館にも通って、海賊盤を掘ったりもしてました。

ーーその頃はどんなバンドで演奏してたんですか?

佐治:高校時代はハードロックやLAメタルが全盛で、MR. BIGやExtremeを学園祭でやったりしてましたね。よく一緒にやってた同級生のギタリストも、テクニカルな曲が好きで。お願いしてRushの曲もやってもらったりしてましたけど、オリジナル曲はやってなかったです。高校はそんな感じだったんですけど、大学に入ってからはかなり志向が変わってきて。フュージョン、ブラックミュージック系の音楽サークルに見学に行ったら、めちゃくちゃ上手いドラマーがいたんですよ。とにかくグルーヴがすごくて、当時の自分にとってはかなり衝撃的で。それまではプログレが好きだったんですけど、プログレにはグルーヴという概念がそんなにないんですよね。ブラックミュージックも聴いてはいたんですけど、その先輩の演奏を目の当たりにして「自分がやってきたことと全然違うな」と思って。それまでやってきたことを覆される感覚があったし、グルーヴの大切さをはじめて感じたんですよね。結局そのサークルには入らなかったんですけど、大学時代はアシッドジャズやブラックミュージック、フュージョンなども演奏するようになって。マーカス・ミラー、The Brecker Brothersのカバーもやってました。

ーーそこでドラマーとしてのプレイスタイルが広がった、と。プロになるという希望は揺るがなかった?

佐治:そうですね。大学時代も本当にドラムばっかりやっていたので。通っていたのは音楽系ではなくて普通の大学で、3年くらいになるとみんな就職活動を始めるんですよ。法学部だったので、在学中に司法試験に受かるヤツもいたし、余計に「自分にはドラムしかない」と思うようになって。高校から一緒だったギターのヤツとは「一緒にプロになろうよ」みたいなことも言ってたんだけど、そいつは頭もいい奴だし、(音楽の道は)ハイリスクノーリタ—ンだと思ったんでしょうね(笑)。ちゃんと就職して、今は大成功してます。僕はそういう選択肢がなかったんですよね。「残ったのがドラムだけだった」と言えるかもしれないです。

YUIとの出会い、FLOWER FLOWERのメンバーに

ーーそして大学在学中からプロとして活動をスタート。きっかけは何だったんですか?

佐治:大学の終わりくらいだったんですけど、日本コロムビアからメジャーデビューした林邦洋さんのバックバンドの募集があって。そのオーディションに受かったのが最初ですね。同じ時期にYOSHIMBAというバンドに参加したり、少しずつ活動が増えていった感じですね。

ーー順調なスタートですね。

佐治:でも、その後ちょっとドラムから離れてしまうんですよ。90年代の後半からPro Toolsが一般的になってきて。ポストプロダクション、つまり録ったものをコンピューターで編集することが始まったんです。シカゴ音響派(1990年代にアメリカ・シカゴを中心に展開された、生楽器の演奏とデジタル編集を融合させたムーブメント)にも興味があったし、ポストロック、エレクトロニカにハマったんですよね。そのうちに自分でもそういう音楽をやりはじめて。

ーーそれが佐治さんのソロプロジェクト・plot.につながった?

佐治:そうなんです。自分で完結できる音楽をやりたいというのもあったんですよね。僕はピアノをやっていたわけではないし、バンドをやっていても、コードやメロディに対して具体案を出せなかったんです。自分のなかで「このフレーズは違うかもしれない」と思っても、それを上手く指摘することができないというか。そのなかで「自分で全部責任が取れるものをやりたい」と思うようになったのかなと。

ーーなるほど。

佐治:そこからコンピューターを使った制作にシフトしたんですけど、そこでもだんだん行き詰まりを感じるようになって。偶然性に任せていたというか、波形を切り貼りしながら、たまたま出来た音やフレーズをつなげて曲にしていたんですが、次の曲もまた同じプロセスで時間をかけなくてはいけなくて。再現性もないし、「これが本当に自分が表現したいことなのかな?」という感じになってきたんです。それよりもアコギ1本でメロディを歌えたほうがよっぽど強いよな……みたいなことを思い始めて。それをやるためにはコードやメロディを学ぶ必要があるけど、自分にはもうそんな時間はない。だったら、いちばん得意なドラムにちゃんと向き合おうと改めて思ったんですよね。それが20代の後半くらいでした。

ーー佐治さんのキャリアを語るうえで欠かせないのが、YUIさんとの仕事です。

佐治:確かに大きい出来事だったと思います。エザキマサルさんという方のレコーディングに参加した時のエンジニアが片岡恭久さんだったんですが、片岡さんが僕のことを気に入ってくれたようで、片岡さんの推薦でYUIのレコーディングに参加することになったんです。『CAN'T BUY MY LOVE』というアルバムで何曲か叩かせてもらったんですけど、「CHE.R.RY」が収録されていたこともあって、そのアルバムが大ヒットして。YUIちゃんはあっという間に大きい存在になったんですけど、その後もレコーディングやライブに呼んでもらって、それがFLOWER FLOWERにつながっていきました。

ーーFLOWER FLOWERには、かなり凝ったリズムの楽曲もありますね。

佐治:そうなんですよ。最初はもっとフォーキーというか、いなたい感じのゆったりした音楽性だったんですけど、YUIちゃんの志向が変わってきて、尖った曲も増えてきて。僕はアバンギャルドな音楽も好きだから、「こんな曲をバンドでやっていいの?」って嬉しかったんです(笑)。しかもYUIちゃんのボーカルがあれば、どんなに尖ったサウンドでもポップスに収まるんですよ。まさにポップアイコンというか、歌、声、出で立ちによって、しっかりたくさんの人に届けることができる。すごい人だなって実感しましたね。

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