『ブラッサム』“清治”渡部篤郎の“自由”はたしかに継承されている 珠の解放の物語へ

 NHK連続テレビ小説『ブラッサム』第2週「父からの、解放」で、清治(渡部篤郎)が亡くなった。わずか10話での父の退場。Netflixシリーズ『ダウンタイム』をはじめ、ドラマ『ポリティカルパン』(フジテレビ系)と多くの作品に引っ張りだこ、“渡部篤郎祭り”の中で、ここまでの『ブラッサム』を振り返るとどうしても清治の姿が浮かんでくる。それほどに強烈であり、同時に主人公・珠(石橋静河)が自由な人生を生き抜く力の原点となった人としても描かれている。

 宇野千代の自伝『生きて行く私』(角川文庫)には「雪とは不思議なもの」の章の中で、「死の直前の狂気の瞬間」として父の最期の姿に見た宇野千代の思いが鮮烈に記されている。それを映像化し、珠と清治という父娘、そして清治というある種の“呪縛”から解き放たれた葉野家へと昇華し描いたのが第10話だ。雪の舞う庭で包丁を持ち暴れる清治。錯乱した清治が見ているのは、自らの幻影。「みすぼらしい」と見下す自分自身に、「まだ逝ってたまるかあ」と包丁を振り回す。

 それは何を考えているのか分からない、近所の人たちからは放蕩無頼な姿に見えているのだろうが、「まだ終わらん」と繰り返す清治には譲れない彼だけの矜持があるようにも思える。そんな清治を止められるのは珠だけだった。リョウ(国仲涼子)でも、守(中須翔真)でもなく、珠だけが入ることのできる父娘としての関係。鬼気迫る表情を見せていた清治が、朦朧とした意識の中で、珠に優しく微笑む。珠の頬に触れると、清治は「わしは、結局何も……」と言い残し、珠を抱きしめながら「死にとうない……」と耳元で繰り返す。それは清治が最後に珠だけに見せた愛情と優しさ、弱音。粉雪の舞う、どこか耽美な雰囲気を醸し出す清治=渡部篤郎の退廃的で、温かな芝居だった。

 清治は何を考えていたのか。それは、珠にもリョウにも、清治を演じる渡部にも本当のところは分からない。ただ、『あさイチ』「プレミアムトーク」(NHK総合)に出演した渡部が、口にするのをためらいながらも話した、カナリアの解釈を聞いて筆者はハッとした。鳥かごに入れられたカナリアは、自分自身のメタファーなのではないかと多くの視聴者が思っていたはずだが、渡部はカナリアを清治にとっての家族みたいな存在だと捉えていたのだと。そうすれば、かつて幼き珠が「放蕩無頼の徒は見当たりませんでした」と作文に書いた、縁側で月明かりに照らされ笑っているような、どこかもの悲しいような表情は、最期に清治が珠に向けた眼差しともどこか重なるものがある。

 珠は近所からクズと呼ばれる清治に対して、「嫌じゃあない」と幼い頃から思いを抱いていた。珠と清治はどこか似ている。睨む珠に清治が言った「今の目はええのう。度胸もあるし、頭もええ。わしに似ちょる」というセリフもあったが、「はあええ、やめじゃ」と嫁ぎ先である木村家から走って逃げ出した潔さ、ある種の自由奔放さはすでに珠のなかに息づいているとも取れる。

 珠にとっての自由な生き方の道標となっていく清治という存在。清治の死を悲観的に描くのではなく、週タイトルにもある通りに“解放”として描いているのも素晴らしい。第10話はタイトルバックまでのアバンを清治の最期で走り切り、それ以降は清治の死後を描いていく。清らかな讃美歌のような劇伴が流れる中で、「心がせいせいしよる」という珠をリョウが「それでええんよ」と肯定する。珠は弟妹たちに物語を書き、読み聞かせをして、梅(松本穂香)の誘いで羽付きをしに、弟妹たちは初めて外へと遊びに行く。新たな日常、暮らしが動き出す中で、珠は好きなことをする、書きたい気持ちが溢れ出していた。

 第3週 「化粧と、初恋」では、生涯で“数々のロマンス”を持つ珠にとっての初恋が描かれる。相手は、教師で同僚となる島村(工藤阿須加)。それは壮絶な人生の序章。恋する珠=石橋静河の芝居の変化にも注目だ。

■放送情報
2026年度後期 連続テレビ小説『ブラッサム』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜から金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:石橋静河、加賀まりこ、松たか子、国仲涼子、渡部篤郎ほか
作:櫻井剛、小松與志子
主題歌:YOASOBI
制作統括:村山峻平、櫻井壮一
プロデューサー:大野陽平
演出:盆子原誠、中泉慧、佐藤玲衣、田中陽児、小林直毅、野田雄介
写真提供=NHK

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