101年目の民藝運動を未来へーー月刊誌『民藝』新体制が目指す、現代の暮らしと手仕事の接点
「民藝(民衆的工芸)」という言葉が柳宗悦らによって生み出されてから、2026年で101年目を迎えた。名もなき職人の手から生まれた日用品の中に「健全な美」を見出す民藝の思想は、いまやライフスタイルやデザイン、地域カルチャーと結びつき、幅広い世代から注目を集めている。
その思想を伝え続けてきた日本民藝協会の機関誌『民藝』がいま、静かに転換期を迎えている。6年間にわたり誌面の刷新を牽引してきた「工藝風向」代表・高木崇雄前編集長からバトンを受け取り、新編集長に就任したのは、岡山県倉敷市で活動するいぐさ職人・須浪隆貴だ。『民藝』編集部では日々、どのような議論が交わされているのだろうか。今回、新編集長の須浪、編集委員の佐々風太、事務局で編集実務を担当する鈴木理恵、そして前編集長である高木崇雄の4名に「ひらかれた民藝」のこれからについて、目指す姿を聞いた。
「民藝」とは? 暮らしと自然、そして社会をつなぐ大きなベクトル
「そもそも民藝とは何か」と問われると、身構えてしまう人も少なくないのではないか。いったいどんなものなのか、インタビューの冒頭で前編集長・高木崇雄はこう紐解いてくれた。
高木「民藝って何ですかと聞かれたら、ざっくり言えば、柳宗悦という思想家とその仲間たちが、当時顧みられていなかった日常の道具の中に『こんなに美しいものがある』と集め、見せたことが始まりです。その集大成が、駒場東大前にある日本民藝館です」
観賞用の華美な美術品ばかりが評価されていた時代に、一般の民衆が日々の生活で使う道具にこそ「健全な美」が宿ると唱えた柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司ら。彼らが唱えた「民衆的工芸」の略語が「民藝」である。
しかし、民藝の広がりは単なる「道具の鑑賞」にとどまらない。高木は鳥取の新作民藝運動を推進した医師であり民藝プロデューサー・吉田璋也の例を引きながら、民藝の思想が持つ本質的な広がりに言及する。
高木「吉田璋也たちは、美しいものがこれからも作り続けられるためには、職人だけでなく自然環境や風景まで守り、育てていかなくてはいけないと考えました。だから吉田は、当時『緑化しよう』と言われていた鳥取砂丘の保全活動に取り組んだり、画家の山下清を連れてきてプロモーションを行ったりもしたのです。つまり民藝とは、単に焼き物やガラスの話だけではなく、自然保護や風景、デザインといったあらゆる分野につながっている。そういった大きな考えがいま、あらためて評価されているのではないでしょうか」
新編集長の須浪隆貴が倉敷で作る「いかご(いぐさのかご)」も、自然の恵みがあってこそ生まれる道具だ。材料となるいぐさの供給や職人の手仕事は、自然環境や社会のあり方と切っても切り離せない。
高木「民藝と言うと、特定の産地の器やデザインのスタイルだと思われる方もいるかもしれません。けれど個人的には、民藝とはスタイルではなく『みんながこういう美しいものを当たり前に使って暮らしていけるような社会を作ろう』という運動であり、ベクトルなのだと思っています。だからこそ、他の芸術運動と違って100年も続いてきたのでしょう」
前編集長の改革。本屋に並び、手に取られやすい雑誌へ
『民藝』は昭和27年、『月刊たくみ』(銀座たくみ工芸店発行/現在復刊中)という名前で創刊。その後、現在の誌名となり約70年あまり、一度も休刊することなく、毎月発行され続けてきた。通巻880号を超える歴史の長さは圧巻だが、一方で課題も抱えていたという。6年前に編集長に就任した高木は、その状況に風穴を開けるべく、誌面改革を行った。
高木「それまでの『民藝』って、どうしても一部でマンネリ化しているところがあったんです。たとえば『河井寬次郎生誕80周年』の次は『柳宗悦没後40年』とか……僕、よく『法要ばかりしてるんじゃないんだから』って言っていたんですけれど(笑)。写真もよりグラフィックなものに変えたかったんです。いろいろ変えていったのですが、一番大きかったのは製本です。昔はホチキス止めの『中綴じ』だったのですが、それだと書店の棚に置かれたときに背表紙が見えず、何号かわからない。だからちゃんと背表紙のある形にして、ISBNコードを取って、普通の書店で手に取っていただける仕組みを作りました」
事務局の鈴木理恵も、高木前編集長による6年間の変化と手応えを次のように振り返る。
鈴木「高木さんは、より一般の方向けに分かりやすい誌面作りを心がけてくださいました。それまでは専門的な学術論文が多くて、初めて読む方が戸惑ってしまうこともあったと思うんです。それが、導入は優しく、かつ専門性の高さは忘れないという方針を立ててくださったのです。このため最近では、デザインやファッション、ライフスタイルに興味のある新しい読者層が増えてきたと実感しています」
さらに高木は、編集委員会の組織構造も変革した。3年ごとにメンバーを入れ替え、協会員であれば立場や年齢に関わらず「やりたい」という熱量を持つ人を積極的に巻き込む形を作ったのだ。
高木「文句があるなら編集委員会に入りなよと言われて入ったのが僕の始まりでしたから(笑)。新しい風を入れ続けるためにも、定期的に変わっていく組織であってほしいですね」
そう言って、高木前編集長は6年で編集長のバトンを次の世代に渡した。
かご職人につながれた編集長のバトン
新編集長に就任したのが須浪隆貴だ。岡山県倉敷市で1886年から続く「須浪亨商店」の5代目で、現役の職人である。30代という若さで岡山県民藝協会の会長も務める須浪だが、編集長打診の報せを受けたときの心境を尋ねると、開口一番、本音が飛び出した。
須浪「そうですね……『マジか』という感じでした(笑)。高木さんが日本民藝協会の副会長になられて、組織全体の立て付けが変わる。このまますべてを高木さんに頼り続けるわけにもいかないですし、みんなで作っていきたいという思いはあったので、やれるところまではやってみようとお引き受けしました」
高木「須浪さんは若いけれど人望があるんです。岡山は民藝運動にとって非常に重要な土地で、民藝運動において大サポーターとなった実業家・大原孫三郎をはじめ柳宗悦を深く支持した歴史がある場所です。そこでしっかり自分の仕事をし、民藝協会の活動も引っ張ってきた須浪さんだからこそ、安心して引き継ぐことができました」
職人としての手仕事を進めながら、雑誌の編集長を務める。プレッシャーは小さくないはずだが、須浪の言葉には、職人らしい誠実さと「ひらかれた姿勢」が滲み出る。
須浪「僕たちが関わる民藝運動や手仕事が続いてきたのは、これまで残そうとしてくれた先人がいたからこそです。自分がものづくりの場で触れてきた人たちの姿勢を、誌面にも反映できるような選択を重ねていきたいですね」
『民藝』の編集体制は、一人の編集長がすべてを主導するトップダウン型ではない。全国各地に散らばる約10名の編集委員が、それぞれの知見やテーマを持ち寄って作る「集団編集体制」をとっている。
編集委員の顔ぶれは実に多彩だ。研究者、民藝店の店主、須浪のような作り手、さらには主婦として日々の暮らしを営む人まで幅広く参加している。毎月開催される編集会議やチャットツールでは、活発な企画の提案が飛び交うという。
東京科学大学の特別研究員であり、民藝運動の理論史を専門とする編集委員の佐々風太は、この体制の強みをこう分析する。
佐々「編集委員一人ひとりの専門や関心が異なることが、最大の面白さだと思います。古いものの良さをきちんと検証したい人もいれば、いま現場で作っている作り手を紹介したいという人もいる。民藝運動の歴史を考えても、どちらが優れているということはなく、どちらも重要なのです。1年12回の特集の中でそれらが次々と取り上げられることで、日本のローカルな手仕事から海外の工芸まで、非常に多様な誌面が生まれます」
各地の民藝協会と密着した委員たちの言葉を拾い上げる集団編集という方針について、佐々は「のりしろ」というキーワードを口にした。
佐々「民藝協会の中にいる人たちだけでなく、外部の『のりしろ』部分にいる人たちともつながっていくことが大事だと思っています。たとえば以前『東欧の工芸』特集を組んだ際、ウクライナ工芸の専門家にお話を伺いました。その方は協会員ではありませんが、非常に近い思いを持っていらっしゃる。そうした近接する領域の人々に企画を開いていくことで、雑誌『民藝』に新しい風が吹くのではないかと感じています」
また、編集委員が持ち寄る熱量の高い企画を、一冊の美しい「本」として成立させているのが、鈴木をはじめとした編集の面々、そしてデザイナーの存在だ。
鈴木「カラー図版で民藝館の収蔵品や職人の仕事を見せるページでは、いかにその物の美しさをありのままに伝えるか、撮影の段階からすごく意識しています。誌面で見たときと実物を見たときに相違がないようにすることは、発信する側としてとても大切にしている部分です」
佐々「かつて柳宗悦たちが作った『工藝』という雑誌が布張りや和紙の美しい造本にこだわったように、『物体として美しい書物』を作るというこだわりが脈々と受け継がれています。鈴木さんはじめ事務局の方々のご努力があってこそ、毎月素晴らしい本としてみなさんのお手元に届けられているのだと感謝しています」
歴史を記録し未来へ手渡す
『民藝』の誌面を開くと、染色や沖縄の工芸といった華やかで人気の高い特集がある一方で、時に非常に渋く深い歴史特集が組まれることに気づく。
たとえば、戦後の民藝運動を支えた人物を取り上げた「田中豊太郎」特集や、昭和期に活動した「萠木会」の特集など。こうした企画を意図的に挟み込む理由について、佐々は熱を込めて語る。
佐々「柳宗悦や河井寬次郎、濱田庄司といった第一世代の開拓者たちは有名ですし、展覧会でもスポットが当たりやすい。しかし、彼らの薫陶を受けて運動を全国に広げた第二世代の人たちが、近年一斉にお亡くなりになり、彼らを直接知る人も減ってきています。放っておくと、第一世代ばかりが有名になり、その下の世代が忘れられてしまいかねません。だからこそ、戦後の民藝を支えた屋台骨のような人々をいまきちんと振り返り、記録として残しておくことが重要だと思います。身内の歴史というだけでなく、手仕事の歴史そのものを未来へ受け継ぐために、欠かせない作業なのだと考えています」
高木「正直に言ってしまうと、特集によって売上が大きく変わるんです。でも、売れる号ばかり作っていてはダメなんですよね。歴史をきちんと押さえ、次につなげていく意味のある号を組み込んでいくこと。長く読まれるものを作るという基本方針は、70年以上の歴史の中で一貫して受け継がれてきたことなのだと思います」
現在、『民藝』の読者層は10代の学生から90代以上のご年配の方までと非常に幅広い。とりわけ民藝館のショップなどで手に取る層として増えているのが、30代〜40代の世代だという。結婚や住まい選びといったライフステージの変化を迎える中で、自らの暮らしや使う道具を見直そうとする人々に、民藝のメッセージが強く刺さっているのだろう。最後に、新編集長の須浪に、これからの『民藝』が目指す姿について伺った。
須浪「僕自身、東京と地方でのギャップを感じることもありますが、同世代の人たちが暮らしを見直すタイミングで、この雑誌が届くといいなと思っています。民藝誌に載っているものの形や色だけを真似しても民藝にはなりません。大切なのは、自分の置かれた立場や時代の中で『どういう社会を作りたくて、どう行動するか』ということだと思います。だからこそ、この雑誌が直接的な役に立つ便利グッズ集である必要はなくて、開いたときに『自分だったらどうかな』とゆっくり考えるきっかけになるようなものにしたい。窓口は明るく開けておいて、深く知りたくなったらいくらでも入り込めるような、そんな場所にしていきたいですね」
高木「最近、街に素敵なコーヒーショップやナチュールワインを扱うお店が増えていますよね。実はそういうお店のオーナーや集まる若い人たちが、自然と民藝に関心を持っているのを感じます。映画監督の小津安二郎の作品を見ていると、長編映画の背景に沖縄のやちむんや芹沢銈介のカレンダーがさりげなく飾られていたりします。当時の人々にとっては、民藝は特別なものではなく、暮らしの中に地続きで存在していた。だからこれからは、書店だけではなく、コーヒーショップやワインバーのような場所でも『民藝』が手に取れるようになっていくと面白いですよね。どんどん、ひらかれた存在にしていきたいです」
『民藝』の世界の扉は、いつでも私たちのすぐそばで、明るく広々と開かれている。
誌面取扱:月刊誌『民藝』(日本民藝協会発行)は、日本民藝協会のオンラインショップ、全国の民藝館、一部の工芸店・民芸店、独立系書店、およびKindle等の電子書籍にて入手可能。
日本民藝協会 online shop:
https://mingeikyoukai.stores.jp/