『サルゲッチュ』が”ちょっと怖い”ワケ:「デュアルショック」のチュートリアルが生んだ狂気の世界

なぜか「ちょっと怖い」世界観

 コミカルなシナリオと、チュートリアルのような軽い雰囲気の作品が、どうして「ちょっと怖い」と感じられるのか。理由を二つ挙げよう。

 一つは、「ゲームの難易度が高いこと」だ。先にみてきたようなコミカルな雰囲気とは裏腹に、『サルゲッチュ』は意外と難しい*2。特に「現代編」にあたるスペクターランドは、多くのプレイヤーにとって鬼門として立ちふさがったことだろう。

*2 開発者の一人・飯島貴光氏いわく「トラウマ」https://twitter.com/piposaru20th/status/1265109414031142912?s=20

 口頭で難易度を説明するのは限界があるが、端的にいえば「全年齢対象にもかかわらず小学生がプレイしてもそもそもクリアできないことがある」程度には難しい。

 そのため、主人公のカケルは何度も「死」(残機減、ゲームオーバー)を体験する。そしてその死に方にしても、マグマに落下して黒焦げになったり、ピポサルに銃殺されたり、乗っているジェットコースターが爆発して落下したり、なかなか散々なものも少なくない。そのような「死」がコミカルでバカバカしい雰囲気のまま描かれるために、「死」のグロテスクさが強調されているような気になってしまうである。

 そして同作が「ちょっと怖い」といわれるもう一つの理由は、「ハカセの人格が破綻していること」だ。

 先にみたように、ハカセの言動のほとんどはそもそもが破綻している。カケルがタイムスリップで訪れた、自身は知る由もないはずの地形についてアドバイスしたり、「ゲットアミ」を物語の開始時からカケルに持たせていたりといった例をみれば分かる通りだ。

 加えて命がけの冒険をしているカケル(小学4年生)に対しては物資(ガチャメカ)を送り付けるだけで、自分自身は直接的に課題解決に関与しない。自分がタイムスリップするわけでもなければ、助けを呼ぶわけでもない。ひたすらガチャメカとステージの説明だけを行い、「人類を救ってくれ」と命令するばかりである(そもそもタイムマシンの誤作動はハカセ自身の不注意が原因であるにも関わらず)。

 このようなハカセの冷淡な態度は、当時のグラフィック技術の限界とも相まって、より狂気じみたものとして演出される。同作が発売された1999年は、ポリゴンを用いた3D描画技術が家庭用ゲーム機に搭載されて間もないころで、現代の水準からみると「写実的」な表現とは程遠いものだった。そのため『サルゲッチュ』においては、キャラクターの感情表現には目の大きさを変えるとか、簡単な身振り手振りを与えるとかいった描写を用いることがほとんどで、作中キャラたちは(とりわけハカセは)ほぼ無表情に近い。

 つまりハカセは「無表情で命がけのミッションを与えてくる上に、助けも呼んでくれないし、なぜか自分(カケル)がどのように行動すれば助かるのかを熟知しているやべーやつ」なのだ。

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