中国映画界の新たなる才能 チウ・ション監督作『郊外の鳥たち』に込められたメッセージ

知的かつ感覚的な『郊外の鳥たち』を読み解く

 ビー・ガン監督(『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』)や、バイ・シュエ監督(『THE CROSSING~香港と大陸をまたぐ少女~』)、惜しくもこの世を去ったフー・ボー監督(『象は静かに座っている』)など、近年中国映画界から、これまでにない感覚を持った、フィルムメイカーたちの才能が次々に花開いている。

 ここで紹介する『郊外の鳥たち』は、そんな新世代の有力な一人として注目したい、チウ・ション監督による、鮮烈な長編デビュー作品だ。その作風は、右脳と左脳が同時に激しく活動するような、知的かつ感覚的な要素に溢れている。

 ビー・ガン監督が『凱里ブルース』で出身地を舞台にしたように、チウ・ション監督もまた、出身地の杭州市で本作を撮りあげている。筆者は、杭州市やその周辺を旅行した経験があるが、河、湖、そして歴史的な運河など、この地は水に恵まれた風光明媚な土地と記憶している。中心となる都市「杭州」は、大きな街であると同時に、約80km離れた上海よりも歴史の情緒を感じる部分が多かった。

 中国の都市は経済的な繁栄とともに急激に姿を変えていっている。街の至るところで建築、解体作業がおこなわれ、建築資材を運んだトラックが忙しなく走り回る。だがチウ・ション監督がカメラを向けるのは、そのような喧騒の中心ではなく、人の少なくなった郊外であり、打ち捨てられた廃墟だ。中国では、廃墟やゴーストタウンのことを「鬼城」と呼ぶのだという。

 地盤沈下によって、「鬼城」となった場所を巡り、測量や地質調査をおこなっているのが、本作の主人公、青年・ハオをはじめとする技師たちだ。実際に杭州では近年、地下鉄工事で地盤沈下が発生したり、道路が陥没するなどのトラブルに見舞われるケースが見られた。水の豊かな土地だということも影響しているのだろう、その原因には、水漏れによって地盤が軟弱になっている点が挙げられる。

 チウ・ション監督自身の言葉によると、この作品では、都市を支えている地下の状況を、人間の記憶の世界に重ねているという。人の精神や人格が、現在までの経験の記憶によってかたちづくられているのだとすれば、性格の土台が決まる子ども時代の記憶は、地盤に例えることができる。ということは、もしその記憶が年月を経て薄れていってしまえば、その人の人間性にも地盤沈下や陥没のような影響を及ぼしてしまうのではないか。

 『郊外の鳥たち』は、記憶と地理的な事象を結びつけるという飛躍が含まれた、一種の「都市論」であるといえる。これは、同じく杭州市を舞台に、富春江を人間の営みや人生に例えた、やはり若手監督のグー・シャオガン『春江水暖』にも近いといえよう。まさに一幅の水墨画のように、中国の山河や都市を精神世界と結びつけるのが、一つの表現方法となっているのだ。

 青年ハオは、「鬼城」の小学校で、自分と同じ名前の子どもが書いた日記を見つける。そこから本作は、少年ハオの物語へと転換する。一緒に遊んでいた仲間たちは、一人ひとり姿を消していき、子どもたちは孤独な状態になっていく。少年ハオの物語は、青年ハオの過去の記憶とも考えられるし、年を重ねていくハオが記憶を失っていく過程を、少年ハオが演じていると見ることもできる。

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