『鎌倉殿の13人』ニセモノの髑髏が示す“証” 三谷幸喜が新境地で描く“本物“のその後

『鎌倉殿の13人』ニセモノ髑髏が示す“証”

 『鎌倉殿の13人』(NHK総合)は鎌倉幕府を支えた北条義時(小栗旬)の半生を描いた大河ドラマだ。第45回「八幡宮の階段」では、源実朝(柿澤勇人)が暗殺される場面が描かれた。

 拝賀の儀式を終えた実朝は雪が降る中、鶴岡八幡宮の大階段をおりていく。そこに隠れていた公暁(寛一郎)が姿を現わす。太刀持ちの義時を斬りつける公暁。しかし義時は源仲章(生田斗真)と直前に太刀持ちを交代していた。

 仲章は義時を失脚寸前まで追いつめていた。しかし皮肉なことに、仲章は義時の身代わりとなって命を落としてしまう。その後、公暁は実朝を打ち取り、謀反の正当性を訴える声明文を読み上げようとするが、文を足元に落とし、血で文字が読めなくなる。その一瞬の隙に「切り捨てよ!」と義時は叫び、公暁は逃走する。

 第44回では、公暁が実朝暗殺を決意する過程が描かれ、その暗殺の黒幕が大きな謎として提示されていた。第45回では、実朝暗殺の場面が具体的に描かれたのだが、義時が自分の意思ではっきりと実朝を殺す意思を持っていたことを強調する回だったと言える。

 一方、公暁に斬られることを実朝が受け入れようとしていたことが、彼の残した和歌によって暗示される。拝賀の儀式の後、実朝は迷い込んできた歩き巫女(大竹しのぶ)の「天命に逆らうな」という声を聞いていた。この言葉は、ボケてしまった歩き巫女が、誰彼かまわず言っていた言葉で、実朝に向けた言葉ではなかった。しかし実朝は、かつて歩き巫女から「雪の日は出歩くな。災いが待っている」と告げられていた。彼はそのことを覚えていて、だからこそ遺言のような和歌を残したのだろう。

 歩き巫女の言葉もそうだが、『鎌倉殿の13人』に登場する神仏の扱いは絶妙である。

 基本的に、どれも胡散臭いまがい物として描かれるのだが、誰か一人でも信じてしまえば、それは現実となり、逆らうことのできない巨大な力となって、周囲を翻弄する。それがもっとも強く現れていたのが、僧侶の文覚(市川猿之助)が、源頼朝(大泉洋)に渡した髑髏だ。

 文覚は元武士で、頼朝の父である源義朝に仕えていた。そして、義朝死去の際に頭部を持ち去り、いずれ頼朝にその髑髏を渡そうとしていた。だが、その髑髏はニセモノで、文覚が詐欺師であったことはすぐに判明する。

 ここまでなら、よくある話だが、『鎌倉殿の13人』が恐ろしいのは、その後である。後白河法皇(西田敏行)の密旨を読んだ頼朝は、平家討伐を決意し挙兵する。そして挙兵する際の最後の拠り所として髑髏を掲げて「どこの誰かは存ぜぬが、この命。お主に賭けよう」と言うのだ。

 数年後、髑髏は幼い実朝に渡される。「全てはこの髑髏から始まったのです」と政子(小池栄子)は言い、義時も「上に立つものの証でございます」と実朝に言う。

 そして今回、髑髏は公暁の元へと渡る。謀反を起こした理由を「知らしめたかったのかもしれません。源頼朝を祖父に持ち、源頼家を父に持った私の名を」と公暁は政子に語った後、実朝の部屋から持ってきた髑髏を見せて「これぞ、鎌倉殿の証」「4代目は私です。それだけは忘れないでください」と言う。

 ニセモノだった髑髏は、持ち主を転々とした末に「鎌倉殿の証」へと変わっていく。ニセモノの髑髏は、義時が守ろうとしている武家社会の根拠のなさを示している。

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