『ボーダレス アイランド』がくれる“祈り”の記憶 忙殺された日常を見つめ直すきっかけに

『ボーダレス アイランド』が描く祈りの記憶

 リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、お付き合いしていた女性と別れ話をした際にHYの「366日」を隣で歌われたことがある間瀬が『ボーダレス アイランド』をプッシュします。

『ボーダレス アイランド』

 HYの楽曲「三月の陽炎」を主題歌に迎えた本作。「HY」と聞いただけで、出会いと別れによる悲しみや感動が描かれるのだろう、なんて単純に考えていた。もちろんそれは間違っていなかったし、実際に筆者もエンドロール中に目に涙を滲ませてしまった。しかし、それは登場人物への感情移入によって起こる類の感動というわけではなく、また映画の持つ圧倒的な“力”に感服して溢れるような涙でもなかった。本作が約100分をかけて描き出した世界観そのものが、現代を生きる私(たち)にとって“心に刺さる”ものだったのだ。

 台湾に暮らす少女のロロは、生まれた時から不在の父親が沖縄と深い関わりがあることを知り、日本語を話せる友人を連れてルーツを探りに沖縄に行く。2人は沖縄で「ウンケー」と呼ばれる旧盆の初日に島に着き3日間を過ごすのだが、そこで超常的な現象を目にすることとなる(ちなみにこの演出は嘘偽りなく非常にショッキングであり、誰しもが衝撃を受けるはずだ)。ロロは島で多くのことを経験し、心を動かされる出会いをして、最終的に台湾に帰っていく。物語の構図としてはスタジオジブリ『千と千尋の神隠し』に近い、といえばイメージしやすいだろう。

 この物語全体を覆うのは「祈り」だ。登場人物は皆とにかく祈っている。それはいわゆる“神様”や超常的な者への祈りでもあり、他者への愛や思いやりという形の祈りでもあり、日々の習慣レベルにまで溶け込んだ祈りでもある。同時に、異なるもの同士を区別する“隔たり”の存在、つまり「ボーダー」もくっきりと描いている。島の人と他所の人、あの世とこの世、日本語と北京語の言語の壁といったものだ。そういった「ボーダー」を「祈り」によって乗り越えて他者同士が繋がれていく流れが見事で、本作が放つ美しさだ。

 ……しかし正直なところ、忙しい日常生活を送るなかで、丁寧に祈りを捧げようなんて綺麗ごと過ぎる、とも思う。本作鑑賞中も、人々の祈りは1つの演出に過ぎないとも考えていた。けれどエンドロールであらゆるスタッフが沖縄や台湾の人の名前で埋め尽くされるのを眺めていると、ただの演出だと思っていた「祈り」に妙に説得力が生まれてくるのだ。この感覚はぜひ劇場で味わってほしいのだが、フィクションに変わりないことは分かっていても「あの人たちは本当にいつも祈りを捧げているんだ」という気持ちが沸き起こる。

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