『ちむどんどん』感動の名シーンを振り返る 全125話を貫く“幸せ”というキーワード

『ちむどんどん』感動の名シーンを振り返る

 まもなく最終話を迎える『ちむどんどん』(NHK総合)。比嘉四兄妹がそれぞれ自身の“幸せ”の形を掴み始めた。思い返せば、本作で印象的だったシーンには必ず“幸せ”というキーワードが散りばめられていた。

 小学生だったヒロイン・暢子(稲垣来泉/黒島結菜)の胸にやけに響いたのは、和彦(田中奏生/宮沢氷魚)の父親で、民俗学者であり大学教授の史彦(戸次重幸)が皆の前で語った言葉だった。

「どうか、人生を恐れないでください。人生は幸せになろうとする道のりです。明日は、今日よりもきっと幸せになれる。その信念を持ち続ける勇気を思い出が支えてくれる。私はそう信じています」

 まさにこの言葉通り、本作はとにかく自身の“ちむどんどん”する直感やひらめきに素直に従っては、壁にぶつかったり遠回りをしたりしながら、自分らしい幸せに近づいていく四兄妹の姿を等身大で描いてきた。

 そういえば、同じようなことを東洋新聞のデスク・田良島(山中崇)が、結婚と自身のキャリアの間で揺れる愛(飯豊まりえ)に諭していたのを思い出す。

「諦めるのか? 自分の幸せを。幸せは結果ではない。ワクワクして夢に向かって頑張る時間。それが幸せってもんじゃないのか? 指くわえて待ってても幸せは訪れない」

 ここでも、“幸せ”というのは何か完成形のあるゴールでも間違いのない正解でもなく、夢に向かって頑張る“過程”にこそあるのだと、田良島は愛の背中を押していた。

 そして、本作は“幸せ”というのはどこかからもたらされるものではなく、他でもない自分自身の意志の力であることも示唆していたように思える。

 暢子の母・優子(仲間由紀恵)が、父・賢三(大森南朋)との馴れ初めや今なお癒えぬ戦時中の傷について四兄妹に打ち明けたシーンは圧巻だった。自身の腕の中で息絶えた弟の死に際に触れ、自分と同じように家族を失う悲しみを味わわせたくなかったのに、賢三が無理していることに気付けなかったと号泣しながら謝る優子に、四兄妹は「うちたちは絶対に幸せになる!」と宣言していた。

 特に賢秀(竜星涼)の懲りずに同じような失敗を繰り返す様は視聴者をハラハラさせると同時にひんしゅくを買っていたと思うが、一方で彼ら兄妹を見ていると哲学者アランの言葉が思い出される。

「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」

 楽観的に見えるのは何も能天気に構えて考えていないのではなく、少なくともそこにはどうにか気丈に振る舞おうとしたり、ネガティヴな方に引っ張られまいと抗おうとする“意志の力”が働いているのだ。それが傍から見れば身の程知らずで向こう見ずな目標を掲げているように聞こえても、その拠り所がないと簡単に人は悲観に転じてしまうものだ。

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