『パンドラの果実』榊原の言葉は何を意味する? ギリシャ神話「パンドラの箱」から紐解く

『パンドラの果実』をギリシャ神話から紐解く

 小比類巻(ディーン・フジオカ)の愛娘・星来(鈴木凜子)が誘拐された。『パンドラの果実~科学犯罪捜査ファイル~』の第9話(日本テレビ系)では、小比類巻はすぐさま単独捜査を開始。優しき父は、娘のためなら手段を選ばず、鬼になる。心に燃え盛る怒りを抑えるように、語調は恐ろしいほど静かだ。

 科学犯罪対策室の3つのエレメンツーー知力、体力、ひらめき。小比類巻が不在の今、長谷部(ユースケ・サンタマリア)と最上(岸井ゆきの)は、それぞれが星来を救うためにできること、すべきことを行動に移していた。局長の島崎(板尾創路)も同じくだ。警察が、小比類巻の単独行動を問題視すると、自身が許可した捜査であると一蹴した。本件は、科学犯罪対策室が関わるべき事案であると。

 最上は、プロメテウス・ウイルス変異株を無力化させる方法を探す。ウイルスを生み出したことへの自責の念と戦いながら、後始末を引き受ける覚悟だ。長谷部は、さまざまな立場や思いの真ん中に立つ。一人娘を思う小比類巻の気持ちを慮り、気負う最上を気にかけ、入院中の聡子(石野真子)のもとにも足を運ぶ。科学犯罪対策室の「体力」として、常にフットワークは軽く。長谷部自身、娘を持つ親だ。小比類巻の行動も、聡子が抱えてきた秘密も、その奥にある気持ちが分かるのだろう。

 榊原(加藤雅也)の次の狙いは最上だった。「宿主(星来)がプロメテウス・ウイルスに感染しても死なないようにしてほしい」との榊原の要求を、最上は「全てが終わったら星来を解放すること」を条件に引き受ける。

 最上は、ある方法を思いついていた。それは、ナノマシンの投与。細胞の破壊と再生、そのスピードを一致させることで、プロメテウス・ウイルスと宿主を共存させるというものだ。しかし時間がない。星来にはすでに、プロメテウス・ウイルスが投与されてしまった。

 「最後の審判」。榊原の言葉は、何を意味するのだろう。「ウイルスは全ての人に平等、感情を持たない」「必ず人類を進化させてみせます」ーーわずかに描かれた榊原の過去から、これらの言葉の背景を想像する。しかし、「探求心を抑えられない」科学者であった父に、日常生活を、家族を、輝かしい未来を奪われた榊原。それにもかかわらず、なぜ自身も追い求めてしまうのだろうか。

 本筋とは少々、話がずれるが「禁断の果実」は、欲するが手に入らない、決して手に入れてはならないため、より魅力が増す存在のことを指す。象徴ともいえるのは、旧約聖書『創世記』より、アダムとイヴが食べた「善悪の知識の木」の果実。食べてはならぬとされていた果実を、そそのかされて口にした二人は無垢を失い、楽園から追放された。転じて、禁じられるからこそ手を伸ばしたくなる存在、けれど打ち勝たなければならない欲望、そうしたニュアンスを持つ言葉として用いられる。ブドウやイチジク、さまざまな果実の説があるが、西ヨーロッパでは「リンゴ」であるとされているらしい。

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