宇野維正×森直人、ウォン・カーウァイを語る MCUから『ムーンライト』にまで与えた影響

宇野維正×森直人、ウォン・カーウァイを語る

同時代のポップカルチャーとの確かな接続

『天使の涙』(c)1995, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

ーーそもそもカーウァイは、どのように登場したのでしょう?

森:一作目の長編が『いますぐ抱きしめたい』(1988年)になるんですけど、これがいきなりカンヌ国際映画祭で上映されているんですよね。この映画はまだ、香港ノワールの枠内にギリギリ引っ掛かっているような作品なんですけど、その当時からカーウァイはMTVの影響を公言している。その頃は、『男たちの挽歌』(1986年)のジョン・ウーとか、そういう香港ノワールが流行っていたけど、自分はMTVの手法で映画を撮っているみたいなことを、当時から言っていた。

宇野:まあ、その後の作品とかを観ていると、完全にそうだよね。

『天使の涙』(c)1995, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

森:いわゆるジャンプカットだったり、映像をスクラッチするような感覚とか、ストーリーの一貫性をあえて断ち切って、ビジュアルや映像主義に映画を寄せていく。それは一作目からやっていることではあるんですけど、ドイルが参加した二作目の『欲望の翼』から、それが急にめちゃめちゃすごいものになった。その衝撃は、僕も当時結構大きかったような気がするんですよね。

宇野:なるほどね。再評価の話をもうちょっと続けると……今年、クライテリオンがカーウァイのリマスター版のボックスセットを出したじゃない? だから、再評価の動きは、アメリカでは本当にあるんだろうね。クライテリオンがボックスセットを出すっていうのは、そういうことだから。

『恋する惑星』(c)1994, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

ーー2015年に、ニューヨークのメトロポリタン美術館で行われた「鏡の中の中国展」の芸術監督をカーウァイが務めたという話もありましたね(※その模様は、ドキュメンタリー映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』<2016年>で垣間見ることができる)。

宇野:そうだね。『恋する惑星』から今に至るまで、蔑ろにされている感じは全然ない。さっきのバリー・ジェンキンスやクロエ・ジャオの話じゃないけど、むしろ再評価の機運が高まっているところがある。そこは、ジョン・ウーとは全然違うよね。さっき森さんが言ったように、80年代の後半から90年代にかけて、香港映画にはジョン・ウーがいたじゃないですか。

『花様年華』(c)2000, 2009 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

――そうですね。

宇野:最終的にジョン・ウーは『ミッション:インポッシブル2』(2000年)を監督するにまで至ったけれど、昨今のエイジアンパワーの文脈で言ったら、カーウァイの影響のほうが全然大きい。カーウァイのアートやポップカルチャーのテイストが、次世代には多大な影響を与えている一方で、ジョン・ウーはちょっと、あの時代の徒花感があるじゃない?

森:二丁拳銃のような、ジョン・ウー監督のクリシェみたいなものが、ハリウッド映画の定番的な方法論の中に呑み込まれちゃったのかもしれませんね。『ミッション:インポッシブル2』の前の、ジョン・ウーがハリウッドで撮った『フェイス/オフ』(1997年)とかが全部『マトリックス』(1999年)に吸収されてしまった(笑)。

宇野:そうだね。『ジョン・ウィック』(2014年)も、間違いなくその流れにある作品だろうし。まあそれは、エイジアンパワー云々というより映画史の中にジョン・ウーが組み込まれたというだけの話なのかもしれないけど。

『花様年華』(c)2000, 2009 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

森:そうだと思う。だから、どっちがグローバルになったかって言ったら、それはジョン・ウーなのかもしれないですよね。事実、ハリウッドとジョン・ウーの相性はめちゃめちゃ良かった。

宇野:ただ、ジョン・ウーが作家として、顧みられるような存在かというとかなり疑問で。今となっては、確実にカーウァイのほうが顧みられている。あとひとつ、これは今回ちゃんと言っておきたかったんだけど、当時の日本映画との比較で言うなら、やっぱりカーウァイの映画は、同時代のポップカルチャーとちゃんと接続できていたんだよね。

『天使の涙』(c)1995, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

ーーどういうことでしょう?

宇野:その当時、日本の映画監督がいくら海外の映画祭で評価されたと言っても、その多くはシネフィル的な狭い価値観の範囲内だったというか。彼らの作品は、ポップカルチャーに接続できていないんですよ。なぜなら、彼らは映画のことはよく知っているけど、同時代のポップカルチャーのことはよく知らないから。だけどカーウァイは、同時代のポップカルチャーに接続できていた。だからこそ、『ムーンライト』にまで影響を与えるような存在になっていったわけで。その違いは、やっぱりすごく大きいと思う。まあ、90年代でも、北野武や是枝裕和のような例外的な監督はいたけど。

森:90年代の日本における映画の状況を象徴する監督として、僕が思い浮かべる人が3人いて……ウォン・カーウァイ、クエンティン・タランティーノ、そして岩井俊二監督なんですけど。

宇野:そうだ、アジアの括りでいうと岩井俊二は重要だね。

森:カーウァイの『欲望の翼』が日本で公開されたのが1992年、タランティーノの『レザボアドッグス』(1992年)が1993年……で、岩井さんの『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のテレビ版が放送されたのが1993年なんですよね(※その後、1995年に映画版が劇場公開された)。だからやっぱり、80年前後生まれの人は、多感なティーンの時期に、そのあたりの映画に当たっているんですよ。カーウァイに限らず、そうした作家群の影響が今の映画には見られる。

宇野:でも、岩井さんは『Love Letter』(1995年)の頃からアジアの中ではものすごく影響力を持っていたし、ヒットもしていたけど、結局アジアの外には広がらなかったじゃないですか。そこは大きいよね。海外の映画祭で注目された日本の監督たちも、逆に言うとヨーロッパでしか評価されなかったわけで……。

『恋する惑星』(c)1994, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

森:そう、アメリカが抜けているんですよね。そこでひとつ重要なのは、『恋する惑星』に真っ先に飛びついたのが、タランティーノだったということ。そもそも『欲望の翼』も大好きだったらしいですが、『恋する惑星』はスウェーデンのストックホルム映画祭で最初に観て、すっかり惚れ込んだらしいです。タランティーノがアメリカでやっている「ローリング・サンダー」っていう外国映画の配給レーベルがあるんですけど、その記念すべき第一回配給作品が『恋する惑星』なんですよ。そこでタランティーノとカーウァイが繋がって、英語圏に広く届いたのは大きかったんじゃないかな。まあ、香港だから、英語圏に強いというのもあったとは思うんですが。

宇野:そうだね。当時の香港は、アジアと言っても、少し特殊なポジションにいたわけで……。

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