『東京リベンジャーズ』見事に原作を再構成 北村匠海が体現したタケミチの二面性

『東京リベンジャーズ』原作を見事に再構成

 本作の映画的なアプローチについても考えていきたい。7月に23巻が発売されているが、本作のような長期連載の漫画作品には、物語の再構成の難しさが出てくる。約2時間という時間的制約上、全てを描写することもできないが、かといって続編が作られるかもしれない可能性を考えれば、その先の流れの伏線を無視することもできないため、どの作品でも物語の取捨選択に苦心している印象だ。

 本作の場合は1作の映画としてもまとまっており、花垣武道という少年が男になるドラマを中心とすることで、爽快感がある『東京リベンジャーズ』らしい物語に仕上がっている。このまとめ方は原作やアニメ版と比較するとよりわかりやすい。

 冒頭の流れこそ映画と原作は同じだが、映画はより武道が情けない人物であることを強調していた。バイト先の店長に煽られる姿などは、観ているだけなのにもかかわらずムカムカとした人も多いのではないだろうか。また武道の人生を変えた人物であるキヨマサ(鈴木伸之)との対峙では、その後の記憶があることもあり、まずは逃げることを選択することで、情けない姿を重ねて強調し、その後の人生が逃げ続けているものであることを印象づけた。

 わかりやすいのは橘日向の弟である橘ナオト(杉野遥亮)が不良に絡まれているところを助けるシーンだろう。原作では武道が怒り、ビール瓶を割って威圧するというヤンキーらしい行動で不良たちを撃退しているが、映画ではそのいじめ行為を止めはするものの、かっこつけようとしたらブランコに頭をぶつけて倒れるというコメディシーンとなっている。

 ここで武道が怒り、不良たちを撃退してしまうと、せっかく溜めた逃げ続けの人生を選ぶ情けない男の鬱憤が、少しでも晴らされてしまう。なので、ここは少しでもコメディ調にすることで、ラストを盛り上げる選択をしているのだろう。

 そういった選択を重ねることで、最初は橘日向を救うという目的のために動いていたものが、マイキーたちを救うため、そして自分の逃げ続けた人生を精算し、戦うためという理由も内包していく。その複数の目的が積み重なることにより、物語の強度がさらに増していくのだ。

 ともすればヤンキー映画というのは、ただ単に“馬鹿な不良”たちが暴れ回るだけの作品になりかねない。作中でも「今時ヤンキーはダサいと思われている」と語っているように、ヤンキーは古いものとする風潮はどこかにあるだろう。しかし、1人の男が誰かのために奮闘し、生き方を変えていく姿は時代を問わずにカッコいいものだ。映画版の『東京リベンジャーズ』には、ヤンキー漫画だからこそ描ける男の成長ドラマが確かにあった。

■井中カエル
ブロガー・ライター。映画・アニメを中心に論じるブログ「物語る亀」を運営中。Twitter

■公開情報
『東京リベンジャーズ』
全国公開中
出演:北村匠海、山田裕貴、杉野遥亮、今田美桜、鈴木伸之、眞栄田郷敦、清水尋也、磯村勇斗、間宮祥太朗、吉沢亮
原作:和久井健『東京卍リベンジャーズ』(講談社『週刊少年マガジン』連載中)
監督:英勉
脚本:高橋泉
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)和久井健/講談社 (c)2020 映画「東京リベンジャーズ」製作委員会
公式サイト:tokyo-revengers.jp
公式Twitter:@revengers_movie
公式Instagram:@revengers_movie

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