バトル以外の内容が“ほぼ無い”『ゴジラvsコング』 モンスターバースでの位置付けを考察

『ゴジラvsコング』は何を描いたのか?

 レジェンダリー・ピクチャーズ製作の、巨費を投じた怪獣映画シリーズ「モンスターバース」。その第4弾は、アメリカと日本がそれぞれに生んだ、映画史を飛び越えて文化史に刻まれている怪獣映画の両巨頭であるキングコングとゴジラがマッチアップして、ついに勝敗が決するという、シリーズの集大成となる内容だ。その名も『ゴジラvsコング』である。

 本作は、世界的なコロナ禍によって公開を延期していたが、それ以前にも製作上の問題で延期していたため、当初の予定から、かなりずれ込んだ時期での公開となった。だが、そんな紆余曲折を経た本作は、アメリカの批評家たちにおおむね好意的に受け入れられ、いまだコロナ禍の影響下にある状況で前作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)を超える大ヒットを記録している。アメリカでの興行収入は100億円の大台を突破し、世界興収は現時点で400億円を優に超え、超大ヒット作となったシリーズ第1作『GODZILLA ゴジラ』(2014年)の成績に迫っている。

 そんな『ゴジラvsコング』の、実際の内容はどうだったのだろうか。ここでは、怪獣バトルの結果の記述だけは避けながら、作品自体の評価はもちろん、シリーズ全体の中で本作がどう位置付けられるのかを考えていきたい。

 本作を観て、まず驚いたのは、メインとなっているゴジラとキングコングのバトル以外の内容が希薄だという点だ。いや、「ほぼ無い」と言ってもいいかもしれない。現代社会やわれわれ個人の問題に通じるテーマらしきものは、大企業の専横や、陰謀論の動画配信問題、報復行為の虚しさ、自然の脅威など、要素は多岐にわたって配置されているが、それらは、とくに掘り下げられているわけではない。では、本作は何を描いているのだろうか。

 キングコングは、もともと1933年製作の映画で初登場した、アメリカの怪獣映画の代表的存在である。対するゴジラは、1954年に登場してたくさんのシリーズ作品を生んだ、日本のナンバーワン怪獣。ニ体の怪獣は別作品のキャラクターなので、権利元も当然異なる。「モンスターバース」は、両方の権利元とライセンス契約を結ぶことで、ゴジラとキングコングが出会う世界を見せることができたのだ。このドリームマッチは、かつて東宝がRKOとのライセンス契約によって製作した『キングコング対ゴジラ』(1962年)で一度実現している。だからこの度のバトルは、およそ60年ぶりの再対決なのである。

 異なる作品の有名怪獣が戦うというのは、別団体のボクシング王者の統一世界王者を決める試合のイメージに近いだろう。映画において別作品のキャラクターが戦う作品といえば、古くは『フランケンシュタインと狼男』(1943年)、『座頭市と用心棒』(1970)、2000年以降では『フレディVSジェイソン』(2003年)、『エイリアンVSプレデター』(2004年)、『貞子vs伽椰子』(2016年)などが挙げられる。これらは劇映画作品としての魅力以外に、格闘技の試合のように観戦したり、どっちが強いのかを議論して盛り上がるような楽しみが存在する。

 このようなジャンルの映画作品は、邪道だと評価されかねないところがある。しかし、もともと映画は歴史の中で“見世物”として始まったものであり、現在も興行のかたちで文化が存続していることを考えると、このような即物的な内容こそが、映画の元来のかたちであるという考え方もできる。

 本作は、そういった意味において不満を感じさせないつくりになっていることは確かだ。この手の対決作品では、どちらのファンの心情も、どちらの権利元の顔も立てなければならないというプレッシャーがつきまとう。だからこそ不完全燃焼に戦いが終わる場合も少なくないが、ここでメインイベントとして用意された、コングとゴジラの正面からのバトルでは、しっかりと決着がつく。つまり、ちゃんと試合として成立しているのである。

 そして決戦に際しては、一部の人間と心を通わせる優しさを持っているコングの故郷の家を、ゴジラが無惨に破壊するという展開が用意されることで、怒りが頂点に達したコングが決闘になだれ込み、両者が戦わなければならない理由を作り出している。ここでは、ワーナーのアニメシリーズ『ルーニー・テューンズ』の一場面を彷彿とさせる、もはやコントのような報復合戦の楽しさがある。

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