『シン・エヴァ』ラストカットの奇妙さの正体とは 庵野秀明が追い続けた“虚構と現実”の境界

 ※本稿には、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の結末を含む内容への言及があります。 

 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のラストカットは、とても奇妙な映像だ。しかし、それは嫌な奇妙さではない。

 

宇部新川駅を空撮で撮影した実景映像がベースなので、実写映像と言えるかもしれない。しかし、その現実を切り取ったはずの実景の映像に現実でないものが交じり合っている。

 走り去るシンジとマリは手描きのアニメーションだ。よく見ると道行くモブキャラも大半がおそらくCGで作成された架空の通行人である。しかし、本当に撮影時にいたであろう、自転車に乗った生身の人間や通りかかった車も存在している。そして、すでに引退した過去の車両が走っている。現実に存在するものと、存在しないもの、そして、かつて存在したものが同居している。シンジとマリは、CGのように実景と馴染ませるわけでもなく、3コマ打ちのアニメキャラとわかるようにそのまま存在している。

 この奇妙さは、『エヴァンゲリオン』シリーズの締めくくりにふさわしい説得力に満ちている。ひいては、庵野秀明という作家が追求してきた何かに通じている気がする。

 アニメと実写、両方の世界で大きな実績を残してきた庵野秀明は、その2つの世界を行き来する自身を顧みるかのように、「虚構と現実」を大きなテーマとして描き続けてきた作家だ。彼にとって、現実と虚構は何なのかが、あのワンカットに集約されているような気がしてならない。

 庵野秀明は、いかにしてあのカットにたどり着いたのか、そしてそこにある「奇妙さ」について解き明かすため、彼の辿ってきた道を振り返ってみることにする。

自主製作時代からアニメと実写のハイブリッドだった

 庵野秀明は、自主製作時代からアニメーションも実写特撮映画も制作していたハイブリッドな作家だった。彼のアマチュア特撮映像は、遊びと切り捨てるにはあまりに完成度が高い。

 自主製作作品『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』で、庵野氏が生身の人間のままウルトラマン役を演じていることは有名だ。作家の処女作には全てが詰まっているとよく言われるが、本作もその好例と言える。生身の人間なのになぜか本当にウルトラマンに見えてくる。ウルトラマンに見せるためのアングルが徹底されているからだ。

 映画演出の神髄は、嘘を本当と思いこませることにある。この時点で庵野氏の演出テクニックはすでに際立っていた。

 特撮自主製作で大きな成果を上げた庵野氏だが、プロとしてはアニメーターの道を歩むことになる。庵野氏は、アニメでは実写的な画作りを志向し続ける。アニメーターとして参加した『王立宇宙軍 オネアミスの翼(王立)』について庵野氏は後年このように語っている。

庵野:アニメは情報量をコントロールできるんだから、可能な限り情報をぶち込もうというのが『王立』の画作りだから。だから、すごく描き込んでますよね。当時では最大限に。観た人が「実写のようだ」と錯覚するのがベストっていう。それで「アニメじゃないみたい」と言われるのが良いわけなんですよ。
小黒:少なくとも、あの当時は?
庵野:そうそう。あの頃、誰かに『王立』の戦闘シーンとかについて「あれだったら実写でやった方がいい」っていう風に言われてですよ。言った人は悪口のつもりなんだろうけど、僕にとっては誉め言葉なんですね(笑)。あんなのは実写では撮れないから。※1

 『王立』の写実感ある描写は公開当時から現在に至るまで絶賛され続けているが、「実写では撮れない」という庵野氏の言葉が重要だ。観た印象では限りなく実写に近い写実感を持ちながら、気持ちよさを優先した爆発のタイミングなどアニメ的な嘘が同居する映像をこの時から庵野氏は生み出していたわけだ。

 庵野氏が商業作品初監督を務めた『トップをねらえ!』では、演出プランに実写映画監督の岡本喜八監督のセンスを持ち込んでいると証言している(※2)。岡本喜八的な画作りは後の作品でも度々見られ、庵野氏の映像演出の基本路線の一つで、キャリア初期からアニメに実写のセンスを積極的に取り入れる姿勢を持っていた。

『新世紀エヴァンゲリオン』で現実に放り出された

 1995年にテレビシリーズが放送、1997年に劇場版が公開され社会現象となった『新世紀エヴァンゲリオン』で、庵野氏は一躍時の人となる。深遠な世界観と的確なレイアウトセンス、14歳の少年少女の心の闇を生々しく描いた本作は、社会に大きなインパクトを与え、本人の人生の転機ともなった。同時に、これまで抱えてきたテーマが前景化してくるのもこの作品からである。「虚構と現実」だ。

 庵野氏は、ドキュメンタリー映画監督の森達也氏との対談イベントで、『エヴァ』によって社会に放り出されたと語る。

(アニメーションをやっている人は)子供っぽい。純粋。いつまでも社会的になれない人間。僕は『新世紀エヴァンゲリオン』のおかげで社会に放り出されましたけど、それまでほとんど世間を知らなかったですからね。※3

 これまで作劇のレイヤーで実写とアニメの境界線を行き来していた庵野氏は、突然の社会的ブームによって、現実社会の中で、虚構と現実が越境していくようなうねりに巻き込まれていく。自身の作った虚構の産物が、現実に大きすぎる影響を与え、そこに耽溺する人を大量に生み出してしまった。そうした中から、1997年の劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(旧劇)の実写映像挿入のアイデアが立ち上ってきた。

アニメ作品に実写を入れることによって、閉塞したアニメの世界を打破したい。同時に、安全な自分だけの世界に安住しているアニメファンたちを、外の現実に直面させたいのです。※4

 実写映像が何を表象すると当時の庵野氏が考えていたのかが、上の言葉に端的に表れている。アニメは自分だけの世界=虚構であり、実写=現実という比較的素朴な二項対立である。アニメは情報量をコントロールして、入れたいものだけを入れられる一方、実写は異物まじりの現実を切り取る。自分にとって気持ちいいものだけの世界で安寧としているアニメファンに向けて、「現実に還れ」というメッセージを実写映像に込めたわけだ。

 そもそも、『新世紀エヴァンゲリオン』で社会に突然放り出される以前から、庵野氏は世代的な要因として「虚構と現実」という命題を背負っていた。大島渚監督との対談でそのことを正直に吐露している。

大島監督の60年代の作品を観ると、空想と現実の交差というのが出てきますが、そのころ子どもだった僕らは、そのころ本当に空想と現実というのが交差していたわけです。子供のころはウルトラマンというのが本当にいるんじゃないか、あるいはいるというイメージを持ってたりしたんですね、怪獣がこの街を壊してくれたら面白いだろうなとか。そういう部分で育ってるので、現実感というのが基盤にないんですね、土着という意識ももうなくなっちゃっている。そういう呪縛から逃れられないかという恐怖がですね、僕ももうすぐ40なんですけど、40前にして、ひしひしと来ているという感じがしているんです。※5

 『新世紀エヴァンゲリオン』の社会現象化が庵野氏に突き付けたものは、自身の現実感のなさだけでなく、社会からそれが無くなっていることの危機感と根詰まり感だった。そして、同時に手法としてのセルアニメの限界をも庵野氏は感じていた。

例えば、描ける表情の限界。ものすごく上手い人が、ものすごい手間をかけてやってもですね。少なくとも近藤喜文と、高畑勲という二大巨頭が組んで、あれだけの時間と手間をかけて作った『おもひでぽろぽろ』が、俺にとって何にもリアリティがなかったんですね。だから、この道はダメだ、と。※6

 手法としてのアニメも、アニメを取り巻く状況にも限界を感じた庵野氏は、もう一つの映像空間である実写に転向する。

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