『ラーヤと龍の王国』にみたディズニーの変化 革新的な作品となった理由を解説

『ラーヤと龍の王国』なぜ革新的な作品に?

 旅の仲間が、互いにとってかけがえのない存在になっていくように、ラーヤが当初持っていた、それぞれの国へのステレオタイプでネガティブなイメージは、次第に覆されていくことになる。そして、そんなラーヤに大きな影響を与えるのが、龍のシスーである。コメディー調の演技が得意なオークワフィナが演じるシスーは、ユーモアがあってお人好しで、すぐに人を信じるキャラクターだ。その点で、シスーはラーヤの父親にそっくりなのだ。

 最もおそろしいといわれている国「ファング」の姫であるナマーリは、何度もラーヤの誠意を裏切り続ける。だがシスーは、そんなナマーリの善良さを疑わず、あくまでも誠意を持った対話を提案する。シスーがそこまで他者を信じることができるのは、過去に龍の兄弟姉妹たちが、彼女を信じて、全ての魔力を授けたからだ。その信頼のおかげで、シスーはドルーンを抑え込むことに成功したのだ。そこでシスーは、強大な脅威にさらされたときには、みんなの力を合わせなければならないことを学んでいたのである。そして、ラーヤはシスーに全てを託した龍たちと同様に、相手を信頼して未来を託す、偉大な一歩を踏み出そうとするのだ。たとえ、何度裏切られたとしても。

 劇中で語られているように、この世界の龍は水や生命の象徴であり、魔物ドルーンは火や疫病の象徴である。人々がそんなおそろしい脅威に立ち向かうには、自然の限られた資源を利用して、力を合わせなければならない。この構図は、疫病対策や環境問題など、現在起こっている人類の様々な課題に重ねられることができる。しかし、本作のストーリーと同じように、他者や他国に偏見を持ち、敵意を持つ者たちは絶えない。そして、緊急時にもかかわらず自分の利益だけを優先し、資源を互いに奪い合うことで、人類の危機は深刻化し続けているのである。

 本作のストーリーを「類型的だ」とする意見も見かける。だが、これまで述べてきたように、本作の構図は、現実の世界を一つの地方に重ね、“様々な問題の根には何があるのか”、“われわれができることは何か”を、一つの冒険譚のなかで見事にシンプルなかたちにまとめ上げている。それは、アニメーションだから、ファンタジーだからこそできる芸当であり、同時に実践的な教訓を含んでいる。ここから放たれるメッセージは、多くのディズニー作品のなかでも際立って重要なものなのではないか。

 この物語が、子ども向けにきれいごとを述べているだけだと考える大人たちは、実際の社会に生きている人々をよく思い浮かべてほしい。本作で表現されているように、“私利私欲にとらわれず、偏見をなくし、相手を信頼する”という、融和に向けたシンプルな答えがすでに用意されているにもかかわらず、多くの国やそれぞれの社会のなかでは、そんな簡単なことができていないために、いつまでも不幸が起き続け、人類の脅威に万全の手を打てていない。本作は、シンプルな世界を無駄に複雑にして問題を先送りにしている、現実の大人たちの愚かさや邪悪さを厳しく断罪しているのである。観客はそんなメッセージを深刻に受けとめなければならないはずである。

 ディズニーのアニメーションは、世界の子どもたちが最も目にする機会が多い作品といえる。そんな状況のなかでディズニーのクリエイターたちは、その立場と能力を有効的に利用することで、次の時代を担う子どもにとって、いま最も重要なメッセージを投げかけている。そして、本作をきわめて重要な作品に押し上げているのは、現実の世界に生きるわれわれの不甲斐なさであることを忘れてはならない。

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