『ばるぼら』と『エール』は二階堂ふみの集大成に “静”と“動”を行き来するヒロイン像を探る

『エール』古山音役は二階堂ふみの集大成に

サイレントのクローズアップ

 ヴェネチア国際映画祭で染谷将太と共にマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人賞)を受賞した『ヒミズ』(園子温監督/2012年)では、二階堂ふみの「動」の演技が炸裂している。二階堂ふみと染谷将太による壮絶なビンタの応酬、取っ組み合いによって転げ回る身体、傷だらけ泥だらけのラブバトルが繰り広げられる本作では、二階堂ふみの字義通りの体当たり演技と、反射神経の良さ、泣き笑いの表情の豊かさが際立っている。

 思えば、映画出演デビュー作となった、役所広司が監督を務めた『ガマの油』(2009年)で、過剰なほどの笑顔を印象付けるヒロインを演じたときから、二階堂ふみの泣き笑いは、現在のところ最新作に当たるNHKの連続ドラマ『エール』に至るまで、強すぎるぐらいの残像を画面に滲ませている。たとえば、岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』(行定勲監督/2018年)では、ハルナ(二階堂ふみ)が面倒を見ていた子猫の死体を突きつけられたときに涙を流すその涙のこぼし方が、まさしく、あの若草ハルナの泣き方であり、岡崎京子の漫画の一コマ一コマ、涙のしずくのこぼれ方までがパラパラとコマで割ったように思い出せる、特徴的な泣き方をしている。つまり二階堂ふみの泣き笑いは、スローモーションのように、残像を見る者の瞳に残していく。さらに、一つの作品の中で何かにぶつかっていくように泣き、笑うからこそ、ふとした瞬間のまなざしとその沈黙がポエジーのように活きてくる。

『リバーズ・エッジ』(c)2018「リバーズ・エッジ」製作委員会/岡崎京子・宝島社

 その意味において、二階堂ふみのフィルモグラフィーでこの一本を選ぶとしたら、小泉今日子と共演した『ふきげんな過去』(前田司郎監督/2016年)を、私は選ぶ。二階堂ふみと小泉今日子が爆弾を作るというだけで、すでに興味深い設定を持つ本作は、いつも不機嫌な果子を演じる二階堂ふみの「娘役」としての到達点を記録している。

 河川敷にワニがいるという都市伝説を、信じているのではなく、むしろワニがいないことを確かめに行くことで、自身と現実との繋がりを確認する果子。「この先の人生で普通じゃない男と出会ったからって、空が飛べるようになるわけではない」(果子曰く、「人生のすべては想像の範囲内!」)と言い放つ、やさぐれた少女を演じる二階堂ふみの不機嫌な沈黙のアップから本作は始まる。

 『ふきげんな過去』は、死んだはずの未来子(小泉今日子)の帰還という、ひと夏の体験が、少女の想像の殻に亀裂を加えていく傑作だ。未来子の髪をつかんで取っ組み合いのケンカをする果子の激しさと、文句を言いながらも未来子に魅せられていく引力が、果子の物言わぬクローズアップの情景に亀裂を生み出していく。二階堂ふみのサイレントのクローズアップ。後に二階堂ふみは『ばるぼら』で、その魂を抜き取られ、ただそこにある空洞として身体を提示することになる。そこでは、ばるぼらの沈黙によって画面は支配される。また、『ふきげんな過去』で、持って生まれた独特な声のトーンで演技に色をつけていく小泉今日子の娘役を演じたことは、二階堂ふみが『エール』の後半で母親役を演じた際の、声のトーンや言葉のイントネーションの変化を試みることで、その時代の母親になりきった演技へとイメージが重なっていく。

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