『悪魔のいけにえ』とヌーヴェル・ヴァーグの共通項は? ザ・シネマメンバーズ配信作から考える

『悪魔のいけにえ』はヌーヴェル・ヴァーグか

『悪魔のいけにえ』(1974年/監督:トビー・フーパー)

 ヌーヴェル・ヴァーグの「ヒッチコック=ホークス主義」に倣えば、「トビー・フーパー主義」の誓いを、心のタトゥーのように刻んでいる映画監督はたくさん居ると思う。例えば代表的なところで、黒沢清、サム・ライミ、イーライ・ロス、ロブ・ゾンビ、アレクサンドル・アジャ、朝倉加葉子などの名前をここに挙げても、きっとご本人たちから怒られないだろう。

 あらゆるホラーマスターの中で最も「作家主義」的に愛され、自主映画出身である生粋の映画小僧=鬼才トビー・フーパー監督の、本格長編デビュー作(厳密には「出世作」と言うべきか)にして最高傑作が『悪魔のいけにえ』だ。

『悪魔のいけにえ』(c)MCMLXXIV BY VORTEX, INC.

 ごく一般的に言うと本作最大の功績は、稀代のホラーアイコンとなった殺人鬼、レザーフェイスを生んだことになるだろうか。人間の顔の皮膚を剥いで自作した仮面を被り、お肉屋さんのような可愛いエプロンをつけて、チェーンソーを全力で振り回す恐怖の巨漢男。このキャラクター設定&造形が大ウケし、以降いろいろ勝手にアレンジされて、ホラー以外のジャンルにも頻繁に登場するポップアイテムへと幅広く展開していった。

  しかしここではトビー・フーパーの革新的なタッチに改めて注目したい。ギラギラした灼熱のテキサスを16mmの手持ちカメラで捉えた映像。意外にも機敏なアクションを見せるレザーフェイスの抜群の運動性に乗せ、夏休みの電ノコ大虐殺の様子がよくドライヴする。

  ロケ主体で、音楽(BGM)を極力抑えた、ドキュメンタルな生っぽさ。まさしくヌーヴァル・ヴァーグの特性がそのまま当てはまる。なんなら、ダルデンヌ兄弟と並べてもいいくらいだ。もっとも『悪魔のいけにえ』のリアリズムは簡素というより幻覚的。路上で転倒しているアルマジロの屍骸などをザラザラした感触で捉えた辺り、テキサス的なマジック・リアリズムとも言え、ルイス・ブニュエル監督のメキシコ時代のハードコアな名作『忘れられた人々』(1950年)などに通じるセンスが横溢している。

『悪魔のいけにえ』(c)MCMLXXIV BY VORTEX, INC.

  時代背景を押さえておくと、『悪魔のいけにえ』の前にはアメリカン・ニューシネマがある。言わば「ハリウッド内インディペンデント」として、既存のスタジオ映画への反旗を翻したこの動きはヌーヴェル・ヴァーグに通じる精神があり、その嚆矢である『俺たちに明日はない』(1967年/監督:アーサー・ペン)の脚本を書いたデヴィッド・ニューマンとロバート・ベントン、さらに主演と製作を務めたウォーレン・ベイティは、当初フランソワ・トリュフォーを監督候補として考えていた。

 そんなニューシネマの系譜に連なる後期に鬼っ子のように出現したのが『悪魔のいけにえ』だと言える。ヒッピーライクな若者たちをレザーフェイスがぶち殺してから、ニューシネマの次の「新しい波」がうねり始めたのだ。

>ザ・シネマメンバーズのラインナップをチェック

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「映画シーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる