“食べ物ドラマ”になぜハマってしまうのか 『孤独のグルメ』を筆頭に求め続けられるその理由

“食べ物ドラマ”が求め続けられる理由

「食と向き合う」ことは人と繋がる

 また、『孤独のグルメ』や『忘却のサチコ』(テレビ東京ほか)に代表される実在の店を巡る系食べ物ドラマにおける、食事中のモノローグは、他の登場人物たちに聞こえていない主人公の心の声を視聴者にのみ聞かせることによって、視聴者を主人公に自己投影させる手段となっている。「食べ物」対「食べる人」との一対一の関係性があってこそ視聴者は、主人公と同化し、画面の向こう側で美味しそうな湯気をたてる食べ物に没入することができるのだ。

 それでも、『孤独のグルメ』における五郎と各話ゲストとの会話シーンがなくてはならないように、「食べ物ドラマ」において「人との関わり」は欠かせない。実際『孤独のグルメ』の聖地巡礼をした先で、同じ1人客で同じメニューを頼んでいた人と意気投合しもう一軒梯子するという「食べ物ドラマ」の食べ物を通して本当に誰かと繋がる経験をしたこともある。「食と向き合う」行為は孤独でありながら、どこかで人と繋がらずにはいられない行為なのだ。

 同様に『ワカコ酒』(テレビ東京ほか)や『今夜はコの字で』(テレビ東京ほか)といった酒と食を楽しむドラマは、仕事に疲れた人々の心を潤してくれるだけでなく、人と人との交流の場としての酒場の素晴らしさを呈示する。『ひとりキャンプで食って寝る』(テレビ東京)には、今流行りのソロキャンプをテーマにしつつ、どんなに一人でいようとしてもなんだかんだ人と関わらずにはいられない人間のサガを感じた。また銭湯を巡る『昼のセント酒』や絶滅しそうなメシ屋を巡る『絶メシロード』(テレビ東京ほか)といった作品は、ある種文化遺産・食文化の記録といった意味も担っている。

コロナ禍においてもニーズは増す一方

 『ゆるキャン△』(テレビ東京ほか)や『新米姉妹のふたりごはん』(テレビ東京ほか)は新種であり、何かを作って食べる可愛い女の子たちを愛でる系の食べ物ドラマだ。特に山田杏奈と大友花恋が姉妹を演じ、生ハムの原木やラクレットチーズといった、そうそう身近ではない食材を使って料理を作る『新米姉妹のふたりごはん』は、料理の魅力というより、時折とても甘美な雰囲気を漂わせる姉妹や友人たちのやりとりと、彼女たちが食べる様を一際色っぽくみせるカメラワークの妙に惹きつけられた。

 さて、今後「食べ物ドラマ」はどうなっていくのか。Netflixで配信されている『腹ぺこフィルのグルメ旅』や『ストリート・グルメを求めて』等の海外の食をテーマにしたドキュメンタリー番組も、コロナ禍で旅行に行きたくても行けない人々の心を捉えて好評である。

 家で過ごす頻度が増えたコロナ禍だからこそ、ドラマの料理を参考に、登場人物たちの幸せ気分を味わいたくなる。旅や外食できないからこそ、現地探訪系ドラマで、行った気になりたい。コロナ禍において、「食べ物ドラマ」のニーズは増す一方だ。

 また、配信サイトの普及も、食べ物に焦点を置けば1話完結型としても見られる「食べ物ドラマ」の特性に合っていると言える。例えば怖い映画を観た後に、何か甘くて温かい食べ物を求めるように、『深夜食堂』の甘い卵焼きの回を観るとホッと一息つくことができた。かつては深夜にリアルタイムで観るからこその「飯テロドラマ」だったが、これからは、それぞれが好きな時間に、今食べたいものを選ぶように、スイーツ、お酒、激辛料理と、数あるドラマをセレクトすることができる。食べ物ドラマはそういった選べるコンテンツとして、テレビドラマとしての放送が終わった後も長く愛され続けることになるのではないか。食べ物ドラマには、これからも我々の心に寄り添い癒し続ける、無限の可能性があるのである。

■藤原奈緒
1992年生まれ。大分県在住。学生時代の寺山修司研究がきっかけで、休日はテレビドラマに映画、本に溺れ、ライター業に勤しむ。日中は書店員。「映画芸術」などに寄稿。

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