Netflix『もう終わりにしよう。』が本当に終わらせたかったこと 話題を呼んだ謎の数々を読み解く

『もう終わりにしよう。』の謎を読み解く

自分の人生を終わらせようとする老人ジェイクの物語

 そう、本作は最初から最後まで「死ぬこと」を描いた作品なのだ! それを踏まえながら、シーンを整理していこう。

 まず物語の冒頭。ルーシーがジェイクとの終わりについて考えていると、話している最中に映し出される家の様子はジェイクの実家のものであり、彼女が出発時に見上げていた窓辺の男は老人のジェイクである。そこから、終わりを決意したルーシーを乗せて車は実家へと向かっていく。これは終わりを決意した老人ジェイクが、人生を振り返る旅に出たことを意味しているシーンだ。

 その後、彼が車を走らせ学校に向かい、清掃業務をこなすシーンが断片的に登場する。このシーンが全て現実パート。昔、バーで素敵だと思った彼女にあの時声をかけていれば、孤独な生涯を送ることも、それ故に終えたいと思うこともなかっただろう。そう感じた彼は彼女と付き合えていたら、という妄想をしながら自分の人生を振り返る。

ルーシーとジェイクの会話

 つまり車中で永遠に繰り広げられる議論やジェイクに対するルーシーの見解は、ジェイク本人が自分に対して感じることだ。なんたるセルフエスティームの低さ! しかし、ルーシーは彼のことを時折「素晴らしい人だ」「優しいし」と言って肯定し、いい部分を見ようとする。これは彼自身の自己肯定感の表れでもある。

 そして彼らの車中の会話、「時間」や「自爆する人、死にたいヤツもいる」という話や豚小屋での「ウジの湧いた豚」の話も全てが生きること、そして死ぬことについてであるのも興味深い。そしてついにたどり着いた、実家。彼は「すぐに中に入りたくない」と言って、ルーシーに家畜小屋を案内する。これは、彼には両親の記憶を振り返る心の準備が必要だったことを意味している。

実家のシーンから見える彼の生涯

 実家パートでは、ジェイクのその終わらせたい人生がどんなものだったのか垣間見える。主に両親の様子や言葉から家族の関係性を探っていくのが面白いシークエンスだ。

 彼は幼少期から家庭に対して悩みを持っていた。彼の母親はジェイクを愛していたが、精神が病んでいた。原作本ではあの地下室の入り口は“内側”から鍵がかけられるような仕組みになっていて、表のドア部分には複数の引っ掻き傷があった。映画ではジェイクがこれを「犬のせい」と言っているが、明らかに高さが犬の所業ではない。恐らく、病んだ母親が落ち着くまで、ジェイクは時折地下に逃げ込んでいたのではないだろうか。彼はルーシーに「僕は地下室が嫌いだ」とはっきり言っている。彼にとって、トラウマの空間なのだ。

 ルーシーはそこで彼の描いた絵を見つける。彼は詩や絵、写真を愛する勤勉な青年だった。極めて内向的でアート寄りだからこそ、スポーツ好きでアートに興味・理解のない農業民の父とソリが合わなかったのだろう。母親はそんな父の肩を持つが、二人とも口論が絶えず、彼は壁越しにそれを聞いていた。特に「ジェイクが中一になって以降、話についていけなくなった」と話していることから、ジェイクが最も多感な青年期からすでに孤独だったことがわかる。母が友達や彼女が遊びに来たことがあまりない、と喜んだこともそうだ。彼は人が苦手だった。

 そんな母は年老いて介護が必要になり、元々仲のよくなかった父は認知症に。周りに誰もいない彼は一人で二人の世話をし、看取った。そして現実のパートで、年老いた彼が実家から車を走らせて職場に向かう様子から、彼はその後もずっと実家に一人で暮らしている。

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