山崎貴は日本のJ・J・エイブラムス? 『DESTINY 鎌倉ものがたり』からその“作家性”を考察

山崎貴監督の「作家性」を再考する

「日本のJ・J・エイブラムス」としての山崎貴

 この点を考えるときに興味深かったのは、「山崎貴は『日本のJ・J・エイブラムス』ではないか」という、アニメ評論家の藤津亮太氏の卓抜な指摘だった。

 この発言が飛び出たのは、今年1月にリアルサウンド映画部で行った2010年代のアニメを振り返るという趣旨の鼎談の場でのことである(参照:ポストジブリという問題設定の変容、女性作家の躍進 2010年代のアニメ映画を振り返る評論家座談会【後編】)。そもそもの発端は、私がスタジオポノックの米林宏昌監督を、テレビドラマ『LOST』(2004年〜2010年)や『スター・ウォーズ』シークエル・トリロジーの監督として知られるJ・J・エイブラムスの作風と比較してみせたことだった。

 私の主張を要約すれば、エイブラムスとは一言でいえば、「究極の2次創作作家」だということである。彼の手がけてきた作品とは、『スター・トレック』『ミッション:インポッシブル』『スター・ウォーズ』……といった、すでに誰もが知るようなハリウッドの神話的コンテンツを、個々に込められたイデオロギーや実質を脱色した上で、その特徴的なディテールだけを器用にハッキングしてまとめてみせる手腕に長けている。要はオタク的というか、まさに「個性がないことが個性」というシニカルなスタンスが、エイブラムスにはある。ただ、これは必ずしも安直な批判ではない。「大文字のハリウッド」が影も形もなく崩壊してしまったあとで、どうやってその「神話性」を継承していくかを考えたとき、「スタントマン」=分身を主人公に偽史を捏造するクエンティン・タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)など、いくつかの方向性が考えられるが、このエイブラムス=2次創作路線も、個人的には、ひとつの重要な最適解だと評価している。そして、たとえば『メアリと魔女の花』(2017年)で無数の宮崎アニメの記憶をデータベース的に参照しつつ、「宮崎駿」という神話の持つ強烈な作家性はすべて脱色して、マイルドに再構築するというポノックの米林の方法論もまた、エイブラムスがやっていることとよく似ていると話したのだ。この私の発言を受けて、藤津氏は以下のように続けた。

 神話の再構築といえば、日本で、渡邉さんのおっしゃるようなエイブラムス的なことをしているというのは、山崎貴監督ではないでしょうか。2019年は3本作品があるけど、アニメだと『ドラゴン・クエスト ユア・ストーリー』の総監督と『ルパン三世 THE FIRST』。『STAND BY ME ドラえもん』もそうですが、山崎監督は再構築する際に、原点からパーツを洗って持ってくるのではなく、世間が漠然と思ってる一般的イメージに向けて再構築する印象です。『ドラクエ』はそういう意味では野心的すぎましたが、『ルパン三世』では、「『ルパン』といえば『カリオストロの城』でしょ?」とか「こういう活劇のお手本は『ラピュタ』でしょ?」といったものを衒いなく、必要な仕事として入れてくる。『ルパン三世』は最近のTVシリーズでは、ルパンが何者かという問いにきちんと向き合って作っていたのに対して、山崎監督は全くそこに興味なく、みんながふんわり思っている『ルパン三世』を作ることに意義を見出している。[…]

 山崎さんはベタを恐れない。だから有名なキャラクターを使うと、「みんなが思ってるのはこれでしょ」という感じになってしまってて寄せすぎのように感じてしまいます。実写作品だとベタに寄せきれない原作があるので、程よいバランスになるのかも。『SPACE BATTLESHIP ヤマト』は実写だけど有名キャラクターだから、「みんなが思ってる『ヤマト』」に寄せてくるんですよね。さらに「みんなが思ってるキムタク」までも乗っかってくる。 

 私には山崎を「アニメ」の視点から語る藤津氏の切り口自体も刺激的だったが、この指摘には深く頷かされた。そうなのだ、「昭和30年代」や「零戦」、今回の「鎌倉」といったいわば「キャラの立った」神話的な舞台設定を扱う場合もそうだが、『宇宙戦艦ヤマト』、『ドラえもん』、『ドラゴンクエスト』、『ルパン三世』といった日本人の誰もが知る巨大コンテンツをプレーンなCG映像ですべて漂白し、データベース的に料理してみせる山崎の映画は、確かにハリウッドにおけるエイブラムスによく似ているだろう。「世間が漠然と思ってる一般的イメージに向けて再構築する」――すなわち、「大衆の集合的な記憶を召喚し、惹起するのがすごく上手い」という山崎の演出的特徴は、表現や演出のレベルで彼が「ポピュリスト」であることを雄弁に証立てている。

映画『ルパン三世 THE FIRST』(c)モンキー・パンチ/2019映画「ルパン三世」製作委員会

 その点では、今回の『DISTINY 鎌倉ものがたり』も変わらない。たとえば、映画の冒頭シーン、遠くに見える江ノ島をバックに、海岸沿いの車道を正和と亜紀子の乗った車が疾走していくが、この江ノ島もまったく実在の江ノ島に見えない。この映画の世界観とは、いわば「みんなが漠然と思っている鎌倉・江ノ島」のイメージがあり、さらにそこに山岸良平が描いた原作マンガのイメージが被さり、またそこに原作でも描かれた魔物や宇宙人が登場する架空の鎌倉のイメージが重なって、しかもそれをあの山崎特有のバーチャルなCG映像が上塗りする……という何重ものシミュレーションが積み重なって出来上がっているのだ。

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