『けもなれ』から『わたナギ』まで 平成/令和のドラマで描かれる“多様性”のテーマ

『わたナギ』などドラマで描かれ続ける多様性

「こうあらねばならない」という思い込みからの解放

獣になれない私たち

 『獣になれない私たち』(日本テレビ系/以下、『けもなれ』)、『わたし、定時で帰ります。』(TBS系/以下、『わた定』)、どちらの作品にも共通しているのが、仕事において無理難題を押しつける「ブラック上司」の存在である。

 仕事をできるがゆえに任されることが多くなり、それを断り切れずにどんどんと次の仕事が拒否権なく半ば強引に押しつけられていく中で、ある特定のメンバーだけが疲弊していく状態に陥る。それでも周りに迷惑をかけないように頑張り続けないといけないという思い込みから逃げられない人たちが描かれていたのが、『けもなれ』と『わた定』であった。

 何か集団で事を成そうとするときに、正義感が強く優しい人ほど、この思い込みにがんじがらめになることが多いのも特徴だ。結果的に仕事に追われ続けて、健康的な生活もままならない状態になっていく。誰もが仕事のことだけを第一に考えている人ばかりではない。第一に考えていたとしても、それが無理に仕事を強いる理由にはならない。

 限界を超えて頑張り続けてしまう人たちに対して、それを否定することなくそれ以外の選択肢を示唆してくれるのが両作品の特徴で、同じような境遇の人にとっては救いになるような作品ではあったのではないだろうか。

 そして今クールドラマでは、『私の家政夫ナギサさん』(TBS系)でも同じようなテーマ性を感じる。

『私の家政夫ナギサさん』(c)TBS

 母・美登里(草刈民代)から「やればできる子」と言い続けられて育ったメイ(多部未華子)が、その期待に応えようと何でも自分でやらなければならないという思い込みにとらわれ、仕事は順調ではあるが生活は崩壊寸前の状態になっていた。ただし、そこに家政夫であるナギサさん(大森南朋)に家事をお願いすることで、生活に彩りも生まれていき、母との仲立ちをすることによって、「やればできる子」という助言がプレッシャーになることを理解してもらえたのだ。

 また、メイの母は、男性が家政夫をしていることへの違和感を吐露するシーンもあったが、そこも一種の思い込みにとらわれて生まれていた発言であった。それでも、しっかりと人によって価値観は違うことを受け入れることで、仲良くなり、共存することができている。

 多様性を受け入れることは、言うは易く行うは難しだ。人は触れた情報などから固定観念を持ってしまうことは避けては通れない。ただし、これらの作品からは、人と人がどのように関わっていくことで、ポジティブに交わり合い、共存していけるのかが示唆されている。視聴者からも一定の支持を得ていることを鑑みても、心の奥底では誰もが仲良く共存することができる未来を望んでいるではないだろうか。

 時代は変わり始めている。いつか現実の至るところでも、これらの作品が描くようなことが起こることを願わずにはいられない。

■岡田拓朗
関西大学卒。大手・ベンチャーの人材系企業を経てフリーランスとして独立。SNSを中心に映画・ドラマのレビューを執筆。エンタメ系ライターとしても活動中。TwitterInstagram

■放送情報
火曜ドラマ『私の家政夫ナギサさん』
TBS系にて、毎週火曜22:00〜放送
出演:多部未華子、瀬戸康史、眞栄田郷敦、高橋メアリージュン、宮尾俊太郎、平山祐介、水澤紳吾、岡部大(ハナコ)、若月佑美、飯尾和樹(ずん)、夏子、富田靖子、草刈民代、趣里、大森南朋
原作:『家政夫のナギサさん』(四ツ原フリコ著/ソルマーレ編集部)
脚本:徳尾浩司
演出:坪井敏雄、山本剛義
プロデューサー:岩崎愛奈(TBSスパークル)
製作:TBSスパークル、TBS
(c)TBS

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