『ふりふら』が示した、2020年代“キラキラ映画”の行方 青春はもはやファンタジー?

『ふりふら』青春はもはやファンタジーに?

 キラキラ映画の基本的な構造として、自己肯定感の低いヒロインが学校一のイケメンなんかに恋心を抱き、自分でいいのかと悩みながら、ライバルの登場によってさらに悩むとい
うのがある。また相手側がヒロインを意識し始めると、自ずと幼なじみや友人ポジションの男子と火花を散らすこともあり、そういったやりとりがストーリーや主人公の心情に変化をもたらすのである。この『ふりふら』では、たしかに由奈と理央の関係性においては朱里がそれにあたると思わせながらも、あくまで朱里は姉弟として作り上げた関係を壊したくないと由奈のサポート役に回り、由奈もそれをありがたく受け入れていく。中盤、由奈に想いを寄せる同級生の男子が登場するわけだが、彼はそもそも主人公たち4人の世界に入れてすらいないので強力なライバルとは言い難い。また朱里と和臣の関係についても同様で、原作では朱里の元彼が現れて物語をかき回していくが、映画では文化祭に遊びに来て朱里に暴言を吐いてドロップアウトするに留まる。結果的に4人の世界の調和を乱すものは、恋愛における外面では微塵もないのである。

『思い、思われ、ふり、ふられ』(c)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (c)咲坂伊緒/集英社

 その代わりに、恋愛ではない部分に揺らぎを与えることでその調和が乱されていくのである。それを象徴するのが後半の朱里&和臣のパートである。両親の再婚と転勤に振り回されながら、自分の意思を殺して周りの状況を受け入れようとする朱里と、将来の夢を両親にどのように受け入れてもらうか葛藤する和臣。それはもはや、たった3年間しかない高校生活をいかに煌めかせるかという利己的な恋愛成就をゴールにしていた従来のキラキラ映画とは異なり、これから大人の社会に飛び出していくための予行演習として高校時代の人間関係が存在し、そのひとつの要素として恋愛が存在しているかのようだ。つまり物語の比重がすっかり恋愛でも友情でもない部分に置かれているわけで、だからこそ2人のヒロインは驚くべきスピードで告白して振られ、それでも健気に自分をふった相手を慮り、あくまでも友人として関係を保とうとしつづけるのであろう。

『思い、思われ、ふり、ふられ』(c)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (c)咲坂伊緒/集英社

 この「利他的」な部分が、もしかすると2020年代のキラキラ映画のひとつのキーワードとなってくるのではないだろうか。4人のうち3人が家族との関係性や自分の将来と向き合いながら悩み、その中で唯一オールドファッションに恋愛に傾倒した異端児的ポジションの由奈でさえ、彼らの悩みを正面から受け取るキャッチャーであり続ける。振り返ってみれば、親の事情で転居し、その後過去を捨てて消息を絶つ『僕等がいた』の矢野や、母親に反抗して不良少年と恋に落ちる『ホットロード』の和希、“応援”という形で相手の夢を支えようとする『青空エール』のつばさと、三木監督が手掛けたキラキラ映画には常に利他的の片鱗があったわけだ。もちろん「相手のことを思いやる」という基本的なことや、「親の都合に振り回される」という状況は他の作品にも頻繁に描写されるものであるが、『ふりふら』の登場人物に関してはそれが物語の核として機能し、この自己犠牲を余儀なくされるシチュエーションをいかに受け入れながら望むべき方向に向かうかという“社会との折り合い”こそが、彼らの世界の中心になっているのだ。そう考えると、たしかに現代的であり、それでいて現実的に“青春”というものの全体像を捉えていると見える。高校生活という時間的/精神的な閉塞の中での一時的な煌めきは、すでにファンタジーであったのかもしれない。

『思い、思われ、ふり、ふられ』(c)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (c)咲坂伊緒/集英社

 最後に、本作の映画的な部分にも触れておきたい。原作は約4年にわたって連載し、全12巻で展開するわけだが、そのストーリー上の時間経過はわずか1年しかないというのが『ふりふら』の大きな特徴である。それだけメインキャラクター4人の感情の変化や揺らぎを緻密に描写することに重点を置き、コマ割りで切り返されるにもかかわらず視線が台詞やモノローグよりも雄弁にストーリーを物語っていく。映画では124分で原作における4人のストーリーを描き切るという大胆な脚色が行われており、その分サブキャラクターの描きが薄くなったり、メインキャラクターに至ってもどのきっかけで感情に変化が生じたのかが読み取りづらい部分も多々あるが、そこに視線のドラマは健在だ。また、原作以上に由奈と理央にフォーカスした前半と、朱里と和臣にフォーカスした後半パートをすっぱりと棲み分けたことも、前述した“社会との折り合い”を描く上では適切だったと考えられる。

 欲を言うならば、原作で朱里と和臣が初めて対面を果たす(出会いの横断歩道のエピソードを浜辺美波が演じているのも見たかったが)由奈の部屋でのシーンや、朱里が和臣の部屋を訪ねていった際に理央がやってくるシーンなど、印象的に使われていたマンションの共用廊下に面した窓が、映画ではクリスマスのシーンでしか機能しなかったことに物足りなさを覚えたことか。エレベーターホールで理央と和臣が『マッドマックス』で盛り上がるシーンぐらいでしか、彼らが同じ集合住宅に暮らしていることを強く感じられる描写がなく、ベランダを介してヒロインの部屋を訪ねる『ういらぶ』や、非常階段や特徴的な建物の構造を活かした『ホットギミック』のほうが主人公たちの生活環境を巧みに表していたように思える。登場人物の置かれた生活環境が物語に直結する以上、せめて原作で後半パートにあった、カップル成立後の由奈と理央が近所の目を気にしながら帰宅するシーンは欲しかったなという印象だ。

■久保田和馬
1989年生まれ。映画ライター/評論・研究。好きな映画監督はアラン・レネ、ロベール・ブレッソンなど。Twitter

■公開情報
『思い、思われ、ふり、ふられ』
全国公開中
出演:浜辺美波、北村匠海、福本莉子、赤楚衛二
原作:咲坂伊緒『思い、思われ、ふり、ふられ』(集英社『別冊マーガレット』連載)
監督:三木孝浩
脚本:米内山陽子、三木孝浩
配給:東宝
(c)2020映画「思い、思われ、ふり、ふられ」製作委員会 (c)咲坂伊緒/集英社
公式サイト:https://furifura-movie.jp/

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