『MIU404』は従来の刑事ドラマとどう違う? マチズモとの断絶と根源的な悪への視点

『MIU404』と従来の刑事ドラマの違い

 志摩と伊吹のキャラクターも、刑事ドラマの伝統的な文脈から外れている。2人が乗る車は、第1話でセダンタイプの初代404号車が派手なカーアクションの末に廃車となり、その後は「まるごとメロンパン号」なるキッチンカーもとい覆面車両へと代替わり。以後、志摩と伊吹の専用車となっているが、「警察≒車≒男の憧れ」という固定観念を笑い飛ばすような痛快さを感じる。また、悪を倒す万能のヒーローというイメージは、運動神経(伊吹)と分析力(志摩)に因数分解され、親しみやすさは高い共感能力に還元される。

 なによりも『MIU404』が過去の刑事ドラマと異なるのは、その戦う相手だ。「警察=正義」という図式を無邪気に信じることができた時代から、警察内部の腐敗と戦う時代を経て、『MIU404』では、事件の背後にある暴力あるいはそれらを生んだ社会とダイレクトに対峙している。暴力には警察内部の不正も含まれる。警察組織の腐敗は多くの作品で描かれてきたが、そこには「警察が正義を執行する」という前提があった。『MIU404』では、その前提が共有されていないか、少なくとも一定の留保が付されている。

 第6話の殺人事件の証拠を捏造した香坂(村上虹郎)や、第8話で殺人を犯した蒲郡(小日向文世)、事件解決を数の論理で押し切ろうとする警視監の安孫子(生瀬勝久)の姿は、警察が正義を行うとは限らないことを示している。ただし、これらは、あくまでも立ち向かうべき多くの暴力の一つ。裏カジノを運営していたエトリ(水橋研二)や違法ドラッグを売りさばく久住(菅田将暉)など正体を明かさない黒幕たちは、人間の中にある闇を人格化したものとして理解できる。父権的で単線的な正義の図式でとらえることのできない、より根源的な悪を見据えているのだ。

 『MIU404』がこうした男性性やステレオタイプな「正義と悪」から自由であることの背景には、本作の主要スタッフが女性であることも関係していると思われる。プロデューサー・新井順子、脚本・野木亜紀子、演出・塚本あゆ子ほかという組み合わせは、あの『アンナチュラル』(TBS系)と同じ座組であり、同作も「暴力に立ち向かう」共通のテーマを持っていた。野木は『MIU404』の執筆にあたり、海外の作品を想起した(参考:野木亜紀子Twitterより)と語っており、それが従来の刑事ドラマにない文脈を生み出したとも考えられる。

 刑事ドラマに新風を吹き込んだ『MIU404』は、今後も折に触れて参照される作品となるだろう。今は残り少ない放送回を待ちながら、その世界にじっくり浸りたい。

■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京辺境で音楽やドラマについての文章を書いています。ブログTwitter

■放送情報
金曜ドラマ『MIU404』
TBS系にて、毎週金曜22:00~22:54放送
出演:綾野剛、星野源、岡田健史、橋本じゅん、黒川智花、渡邊圭祐、金井勇太、生瀬勝久、麻生久美子、黒川智花
脚本:野木亜紀子
演出:塚原あゆ子、竹村謙太郎、加藤尚樹
プロデュース:新井順子
音楽:得田真裕
製作:TBSスパークル、TBS
(c)TBS

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