歴史の醜い真実を描くサスペンス 『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』に詰まった“信念”を読み解く

『赤い闇』に詰まった“信念”を読み解く

 その真面目さと好対照を見せるのが、ウォルター・デュランティ役のピーター・サースガードの妖しい演技だ。地位のある存在でありながら乱れたパーティーを、ほぼ全裸で楽しんでいる姿は、かなり衝撃的。じつはソ連政府の片棒を担ぎ、記者として大事なものを手放したことを暗示する振る舞いが印象に残る。

 そして、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』において、ミステリアスな演技が印象的だったヴァネッサ・カービーは、政府の引き締めが強い過酷な環境のなかで、この両者の価値観の間で心揺れる存在を熱演する。この、どっちにも転がり得る中間的な立場は、本作を観ている観客の大部分を占めるだろう、「自分ならどうするか」という心情に最も寄り添った存在なのではないだろうか。

 さて、ソ連がひた隠しにしていた、好景気の秘密とは、いったい何だったのだろうか。ジョーンズはその謎を解こうと、手がかりを集めていく。そしてその過程で、自分よりも前にこの疑惑に迫ろうとしていた記者が謎の死を遂げていることを知ることになるのだ。それは、ソ連当局による口封じだったのか……。

 身の危険を感じるなか、それでも真相を求め、ソ連が実質的に支配するウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)に潜入しようとするジョーンズ。厳重な監視のなか、彼はどうやってそこへたどり着くのだろうか。盗聴を回避するための筆談や、書類の書き換え、監視の目をかいくぐる作戦など、まさにスパイ映画のような緊張感あるサスペンスが、端正な映像と重厚な演出によって盛り上げられていて、本作の見どころになっている。

 ウクライナは、「ヨーロッパの穀倉」とも呼ばれてきた、歴史的に肥沃な土地である。この国にたどり着いたジョーンズは、深刻な飢餓が人々を襲っていたことを知る。その原因となっていたのは、“ホロドモール”と呼ばれることになる、人工的大飢饉だ。

 かつて、ソ連で多くの優れた作品を監督してきたセルゲイ・エイゼンシュテインは、映画『全線』(1929年)で、ソ連が推し進める集団農場の素晴らしさを描いた。富を全ての人民が共有するという理念を持った共産主義を下敷きにした、この農業のシステムは、当初は実際に農民たちに利益があったのかもしれない。しかしその後、とくにソ連の傀儡となっていたウクライナの地においては、そのシステムがソ連政府の利益にのみ貢献するようなものに変貌していた。収穫された穀物は、そのほとんどが徴収され、人々は正気を失ったり、人肉食までもが発生する状況となっていたのだ。

 それは、日本の江戸時代などにおける農民への苛烈な搾取によって生み出された飢餓や、かつてアメリカの綿花畑などでの奴隷労働の仕組みが、倫理を逸脱することで国の経済的発展を支えてきたことに酷似する、時代錯誤的な施策である。このホロドモールについては長年の間議論がなされてきたが、現在ではナチスドイツがユダヤ人を虐殺したホロコーストにも並ぶような歴史的犯罪であるという評価に固まってきている。

 そんなおそろしい光景を目の当たりにしたジョーンズが、この事態を告発しようとすると、ソ連政府はモスクワに滞在していた何の罪もないイギリス人たちを不当に逮捕し、飢餓の事実を公表すれば人質の命はないと脅し始める。激しい葛藤にさいなまれたジョーンズは、この後『動物農場』を書くことになるジョージ・オーウェルと出会い、背中を押されながら、ついに事実を暴露する会見を開くことになる。

 そこで動き出すのは、すでにソ連政府と蜜月状態になっていたデュランティ記者である。彼はニューヨーク・タイムズに、この発表がデマであるとする反論記事を掲載する。そして、魔の手はエイダにも迫る。ジョーンズは、この窮地をどう戦うのか。そして、本作はいったいどんな結末を迎えるのか。その答えは、劇場で確認してほしい。

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