『もののけ姫』のアシタカはなぜ永遠の憧れなのか? 男女問わず人の心を打つ“言葉”の力

 そして、何よりアシタカの持つ「言葉」には、人の心を打つ力がある。

 サンのことを育ての母である犬神・モロの君は「森を侵した人間が我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ。人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ哀れで醜い可愛い我が娘だ」と言う。愛情と同情を一身に受け、自身の命への執着心に乏しく、刹那的に生きてきたサン。そんな彼女に殺されそうになりながらも、怯むことなく伝えたアシタカの「生きろ……そなたは美しい」の言葉の破壊力たるや。これはもちろん外見的なことではなく、サンの人間としての価値を認め、本能を呼び起こすものだったろう。ともあれ、もしこの作品が1997年ではなく、今、デジタルネイティブ世代がテレビでもなく初めての出会いを映画館で経験していたとしたら、おそらくこの言葉だけが独り歩きするほどの名言としてSNSでバズったのではないかと思う。

 そして、アシタカの言葉に力があるのは、そこに「真実」があるからだ。

 モロの君に「お前にサンは救えるか」と聞かれたアシタカは「わからぬ。でも、共に生きることはできる」と言う。明日のことは誰にもわからない世の中で、「絶対」などないし、根本的には他者を救うことなど誰にもできないし、誰かに救ってもらうこともできない。そんな残酷な真実を受け入れ、言葉にできる強さ。そこには強い覚悟が見える。

 さらに、「アシタカは好きだ。でも、人間は許せない」と言うサンに対して、「それでもいい。サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ」と約束する。相手の思いや価値観、生き方を尊重し、自分自身の生き方も貫くアシタカは、ヒロインを守る王子様ではなく、どこまでも公平で対等な関係性だ。これは女性のみならず、多くの人を引き付ける大きな要素だろう。

 そして、アシタカの言動の信頼度の礎にあるのは、どこにも依らず、ブレず、「くもりなきまなこで物事を見定め、決める」冷静さと中立性・公平性である。

 ただし、これは若さゆえの正義感から来る言葉であり、実際の世の中はそう単純ではない。森を侵し、攻撃するエボシは、悪役に見える半面、身売りされた女性たちや病気を患う人々を助け、生きる力を与えているし、シシ神もまた、「生命を与えるし、生命を奪う」存在だ。

 そうした複雑な世の中において、アシタカの真っすぐな力は、憎しみにとらわれてしまえば、暴走しかねない危うさも持っている。だが、最終的にシシ神は、既に世界が終ろうとする中、自身の保身に走らず、損得抜きでシシ神に首を返そうとするアシタカの真っすぐさを受け入れ、アシタカにかかった呪いを解く。

 タタラ場も、武士も、もののけも、それぞれがそれぞれの立場や命をかけて、懸命に生きる中では、何が正解かわからないし、正解なんてそもそもないのかもしれない。しかし、アシタカは人間と森が共存できる道を懸命に探し続けた。ジコ坊が「バカには勝てん」と言ったのは、この愚直なまでの正義感と平和を願う心に負けたからだろう。

 男女問わず多くの人が憧れるアシタカ像は、おそらく本作が初上映された97年当時よりも、今の人の心に響くのではないか。

 3・11以降、日本では幾度もの災害が続き、さらにコロナ禍で希望が見いだせない状況になっている。しかし、そんな国難や世界的危機でも、それをビジネスチャンスととらえたり、利権のため、私腹を肥やすために利用しようとしたりする人間の業が渦巻き、何を信じて良いのかわからない時代だ。

 青く、愚直に「くもりなきまなこで物事を見定め、決める」アシタカは、複雑で混迷した今の時代に欲しいリーダー像であり、と同時に、私たち一人ひとりが生きていくうえで手に入れたい強さの象徴でもあるのではないだろうか。

『もののけ姫』 特報【6月26日(金)上映開始】

■田幸和歌子
出版社、広告制作会社を経てフリーランスのライターに。主な著書に『KinKiKids おわりなき道』『Hey!Say!JUMP 9つのトビラが開くとき』(ともにアールズ出版)、『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)などがある。

■公開情報
『もののけ姫』
公開中
原作・脚本・監督:宮崎駿
プロデューサー:鈴木敏夫
音楽:久石譲
主題歌:米良美一
声の出演:松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、西村雅彦、上條恒彦、美輪明宏、森 光子、森繁久彌
(c)1997 Studio Ghibli・ND

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