『ブロー・ザ・マン・ダウン』が描く、穏やかな狂気の危うさ 女性共同監督の野心的意図を読む

荻野洋一の『ブロー・ザ・マン・ダウン 』評

 アメリカ東部メイン州のイースター・コーヴという入り江が舞台。興味深いのは、漁村を舞台としておきながら、この作品では漁師たちがなんの役割も演じないことだ。彼らはたまに波止場に整列して、Blow the Man Downをはじめとするシャンティ(労働歌)をうるわしく歌い上げることしかしない。つまり、彼らはここには存在していないのだ。彼らは出漁して留守であって、重要な役を演じるのは、留守を預かる妻たち、娘たち、船乗り相手の娼婦たち、そして彼女らを取り締まりつつほとんど同類と化している保安官どもだ。村の娘たちを荒くれ者の船乗りたちから守るために、売春窟は必要悪となってきたらしい。水の底、雪の内、風下の軒に隠されたおぞましいものから目が離せない。目が離せなくなった私たち人間は共犯の一員となって、共同体をおだやかに形成したりする。

 入り江という地形は波のおだやかさゆえ、港に向いている。奥深くまで入り組み、複雑な地理、社会秩序が形成されていくだろう。幾重にも折り畳まれた秘密や不文律もまた…。ところが、ひとたび荒天に晒されたら、入り江は一変する。すぼめられ、入り組んだ地形ゆえ、高潮のエネルギーは何倍にもパワーアップされ、大災害を引き起こす。私たちはこの『ブロー・ザ・マン・ダウン』の冒頭近くでケチな殺人を目撃した。ところがそれがみるみるうちに、目深な巾着を破るフィレットナイフの役割を演じてしまうのだ。

 留守を預かる女性たちの自治が、スケープゴートに狙いを定め、鉄槌をくだす。鉄槌の矛先は、さっきのケチなポン引き男では不十分だ。その正統な矛先もまた、自治の担い手でなければならない。女性たちの中でもとりわけ毅然とした、そして不敵にも鏡のなかの自分を「悪魔のようだ」と形容してやまぬひとりの女性でなければならない。裁かれる魔女を演じるのはマーゴ・マーティンデイルという女優だ。クリント・イーストウッド監督の悲愴美をたたえた超傑作『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)で主人公のヒラリー・スワンクの酷薄な母親を演じた、あの顔を有する女優だと説明すれば、誰もが納得するだろう。マーゴ・マーティンデイルはここでも素晴らしい画面の収まり方で、破滅せる魔女を嬉々として演じる。いかがわしい酒場や売春窟の女将を演じた名女優たちーーエリア・カザン監督『エデンの東』(1955年)のジョー・ヴァン・フリート、そしてオーソン・ウェルズ監督『黒い罠』(1958年)のマルレーネ・ディートリッヒなどーーもかくやという、今回のマーゴ・マーティンデイルの名演であった。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
ブログTwitter

■配信情報
『ブロー・ザ・マン・ダウン~女たちの協定~』
Amazon Prime Videoにて独占配信中
監督:ダニエル・クルーディ、ブリジット・サヴェージ・コール
出演:ジューン・スキッブ、マーゴ・マーティンデイル、アネット・オトゥール
吹替:https://www.amazon.co.jp/dp/B085RN41WN/
字幕:https://www.amazon.co.jp/dp/B085R74JGW/

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる