氷川きよしはジョン・F・ドノヴァンの希望 グザヴィエ・ドランが描くスターの光と陰

氷川きよしはジョン・F・ドノヴァンの希望

 話は戻るが、映画の主人公ドノヴァンは、実はある男性に恋をしていた。しかし、スターであるが故に、そうした自身のセクシュアリティを公表できずに苦しむ。ドノヴァンは、同じように学校で居場所がなく孤独感を抱えるルパートとの文通で、密かに孤独な自分の居場所を作っていた。だがそれさえも、スキャンダルによって侵害されてしまう。スターになるにつれ、ドノヴァンの孤独感は高まり、自分の居場所を見つけることに苦労するのであった。さらにドノヴァンは、ありのままの自分を世間に知られることを恐れ、否定的である。それは、キャリアや周りの人々を守るための選択だったのかもしれないが、この判断は彼を苦しめ、最終的には彼自身を破滅に追いやる原因にもなってしまう。

 ドノヴァンは残念ながら命を失うことになる。それが事故であったか、自殺であったのかは解明されないが、彼が誰も寄り添うことのできなかった孤独を抱えていたことは自明である。そして、文通相手のルパートもまた同じように孤独を抱えた少年だった。しかし、この文通で絆を確かめ合った2人の人生には、大きな分かれ道が訪れる。ルパートは、自身のセクシュアリティについてはっきりと明言しないながらも、クライマックスである情景が描写される。ルパートが前に向かって生きていく、希望が溢れる未来を見せて終わるのだ。このような前向きな描写からは、ドランなりの希望が映画に込められていることが伝わってくる。

 また、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』という邦題は原題の直訳となっているが、“生と死”ではなく“死と生”と、“死”のあとに“生”が配置されている点にも注目だ。ドノヴァンの死から物語が始まり、希望に満ちたルパートの未来を予感させるかたちで幕を閉じる本作。タイトルの真の意味は、作品を鑑賞した後に理解できるはずだ。

 ドノヴァンは“ありのまま”に生きることができなかったが、ルパートは、氷川のように“自分らしく”生きる道を歩んでいく。氷川の表現は、我々日本人にとって、新しい風となり勇気と魅力を吹き込むが、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』では、ルパートがドノヴァンの全貌を明かすことで、新たな風を起こそうと奮起する。この作品で描かれるのは、孤独なスターだけの問題ではなく、いまを生きる全ての人間が、より魅力的に、鬱屈した魂を解放しながら生きるためのトピックなのだ。グザヴィエ・ドランは、こうした重要な主題を自身の経験に絡めながら、作品として提唱し続けている。

■Nana Numoto
日本大学芸術学部映画学科卒。映画・ファッション系ライター。映像の美術等も手がける。批評同人誌『ヱクリヲ』などに寄稿。Twitter

■公開情報
『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』
3月13日(金)より、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
監督:グザヴィエ・ドラン
脚本:グザヴィエ・ドラン、ジェイコブ・ティアニー
出演:キット・ハリントン、ナタリー・ポートマン、スーザン・サランドン、ジェイコブ・トレンブレイ、キャシー・ベイツ
提供・配給:ファントム・フィルム、松竹
カナダ・イギリス/スコープサイズ/123分/PG12/原題:The Death and Life of John F. Donovan
(c)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
公式サイト:https://www.phantom-film.com/donovan/
公式Twitter:https://twitter.com/jfdonovan_jp

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