細田守と新海誠は、“国民的作家”として対照的な方向へ 2010年代のアニメ映画を振り返る評論家座談会【前編】

2010年代アニメ映画評論家座談会【前編】

国民的作家としての細田守監督

渡邉:10年代の細田監督の創作活動は、実なかなり微妙な振る舞いを求められていたように思います。藤津さんがおっしゃったように、『おおかみこども』も2018年の『未来のミライ』もいわゆるプライベートな話がモチーフで、細田さん自身は、小さい作品を作り上げていった感じがあります。でも一方で、『時かけ』と『サマーウォーズ』でポスト宮崎駿という評価を得て以来、興行側の東宝も、また世間的にも細田監督には大きな国民的アニメを作ってほしいという期待が膨らんでいった。しかし、例えば『未来のミライ』は東宝の予算をかけてエドワード・ヤンをやってみようという作品ですから。それでもなお、ポスト宮崎を期待されるという10年代の彼の立ち位置はどのように捉えていますか?

杉本:作家として個人的な作品を作りたいのは明白ですが、『おおかみこども』が想定以上に当たってしまったので、そういう位置に行かざるを得なくなってしまったということだと思います。東宝の思惑なのか、本人が意識しているのかはわかりませんが、そのズレが不幸な方に向かっているように見えます。

渡邉:有名な話ですが細田監督自身も「公園のような映画を作りたい」と言っていて、いろんな人に見られる公共的な作品を目指している。しかし、実際には4歳のクンちゃんの悩みを延々と掘り下げるような映画を作ってしまう。こうした彼の10年代における“ねじれ”というか、作家自身の志向と世間的期待のギャップは興味深いところです。一方で、新海監督は00年代にニッチな分野で個人アニメーション作家としてデビューしましたが、『君の名は。』のメガヒットで一気にポスト宮崎的な認知を獲得した。同じくポスト宮崎と呼ばれていても、新海監督と細田監督の指向性の違いが、10年代は対照的な方向に向かっていったように感じます。

『未来のミライ』(c)2018 スタジオ地図

藤津:細田監督は1967年生まれで、アニメーションが不自由だった時代を知っている方だと思います。スポンサーを説き伏せて、ある種“騙すこと”で自分の作りたい作品を撮る。そうでもしないと受注作業としてのプログラムピクチャーで終わってしまうという時代を体感している世代でした。だいたい1965年前後から上の世代の監督さんは、自分の思いを作品に込めるなら、自ら動かなきゃいけないという状況を体験していて、だからこそ自分の思っていることを作品に入れることに躊躇がなく、ベタなエンタメから外れてしまうこともあまり恐れない印象です。それもまたアリだと思っている節があると思います。押井守監督や宮崎駿監督は、アニメ産業全体を盛り上げるベタなヒット作があるから、自分たちはその大きな産業の中で、自由に撮れるんだということを80年代に言っています。

 一方でもう少し下の世代、作り手がある程度コントロールできる時代になってから作っている人たちは、エンターテインメントに衒いがありません。自分のやりたいことをやりつつ、ベタなエンタメを外さない大事さを意識している世代だと思います。昔と比べると、アニメーションは子どもだけでなく大人も観るものになったので、その状況の変化を踏まえ、自分がやりたいことをどのレベルで入れるのかというさじ加減の違いが起きている気がします。

渡邉:それは受容側も同じかもしれませんね。これもよく言われることですが、いまの若者たちはアニメを見ることに屈託がなくなり、だからこそアニメにベタなエンタメを求めるようにもなっている。僕も大学で日々学生たちと接していてもアニメ好きなことに衒いがないし、またアイドルアニメや日常系など衒いを感じさせない作品こそ彼らには人気があります。隔世の感ですね(笑)。アニメだけでなくテレビドラマや漫画を含め、価値観や流通回路が多様化した結果、作り手側にも受け手側にも衒いがないという文化になってきたのかもしれません。

『君の名は。』(c)2016「君の名は。」製作委員会

杉本:いわゆるオタクカルチャーの一般化が急速に進んだのはこの10年間でしたね。新海監督の『君の名は。』は、やはり震災へのアンサーであり、実は社会を意識して作品を作っている監督だという印象があります。一方で細田監督は社会よりもパーソナルなものへ意識が向いている気がします。

藤津:細田監督は見てなくはないでしょうけど、「今はそこではない」と考えているのかもしれません。「人の作ったことのないものを作ってみたい」という感覚があって、それが顕著に表れたのが『未来のミライ』だと思いました。今まであまり描かれてこなかった「4歳児の自我確立」を描いていて、それが思春期の前に起こる個人の嵐の時期だという発見はすごいと思います。問題は、思春期は観客も覚えているけれど、4歳の頃は忘れてしまっているので共感ができないところ。それゆえに興行的に難しかったのだと思いますが、「だからこそ作るんだ」という気概を感じ、僕は好意的に受け止めました。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる