ケン・ローチが描き続ける人間の生き様 『家族を想うとき』まで半世紀に及ぶキャリアを振り返る

ケン・ローチが描き続ける人間の生き様

苦難の時代からの脱出

『麦の穂をゆらす風』DVD

 ただしローチのキャリアはずっと順調だったわけではない。興行的に振るわない時もあった。さらに左派としての政治思想を前面に出した作品を手がけ、反対勢力との攻防を繰り広げたこともあった。それが暗に影響し、70年代から80年代にかけての彼はなかなか作品作りが叶わぬ状況へ追いやられていく。この時期、それでも家族を養うために、本来なら最も距離をおきたかったはずのファーストフードCMなどを手がけることも増え、密かに悩む父の姿に妻や子供たちが胸を痛めるほどだったという。

 状況がようやく改善するのは90年代に入ってから。その後は『リフ・ラフ』(90)『レディバード、レディバード』(94)といった秀作群を次々と手掛け、さらに00年代に入ると、変わらず労働者、格差、移民をめぐる左派的な主張を展開しつつも、それをストーリーの中に巧みに織りあげる熟練の腕がさらに磨き上げられていく。06年に『麦の穂をゆらす風』でカンヌ映画祭パルムドール(最高賞)を獲得したのはキャリアにおける最高の一瞬と言えるだろう。

引退発表を撤回して製作された2本の傑作

『わたしは、ダニエル・ブレイク』(c)Sixteen Tyne Limited, Why Not Productions, Wild Bunch, LesFilms du Fleuve,British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and TheBritish Film Institute 2016

 ローチは2014年に引退を発表した。しかし総選挙で労働党が敗北したのを機に復帰を決意。そうして着手したのが『わたしは、ダニエル・ブレイク』である。本作はカンヌ国際映画祭でローチに、『麦の穂をゆらす風』に続く二度目のパルムドールをもたらした。もちろん両作とも素晴らしいが、筆者の目には名も無き市民の尊厳を力の限り讃えた『ダニエル・ブレイク』にこそ、80歳を迎えるローチにしか描けぬ、神がかりとも呼びたくなるほどの境地を感じたものだ。

 最新作『家族を想うとき』は、前作の取材を通じて集まった証言や材料を反映させた“もう一つの物語”なのだそうだ。今もローチはゴリゴリの左派であることに変わりはない。だが、彼の映画から香り立つのは、そういった政治的主張よりもさらに深いところにある「人間の尊厳」に他ならない。これほど世の中が急速に変化し、人々が自分の見たい現実だけに関心を寄せる時代に、ケン・ローチは胸に染みる人間模様を通じて「見るべきもの」「寄り添うべきもの」をしかと突きつけてくれる。そのデビュー以来一貫した眼差しに、絶望や悲しみではなく、むしろ揺るぎない安らぎと温もりを覚えるのは私だけではないはずだ。

『家族を想うとき』

 もう「引退」を気にするのはやめよう。彼には今後も撮り続けてほしいし、もしそれが叶わなくとも、これまでに築き上げた珠玉の作品群がある。日本で絶版扱いのものも含めて、ケン・ローチを再発見する喜びは多く残されている。どんな時代が来ようとも我々は、人間とは何者なのかを深く問うため、ローチの作品と共にあり続けるのだ。

参考資料

・『ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生』DVD
・『ケン・ローチ(映画作家が自身を語る)』グレアム・フラー著、村山匡一郎、越後谷文博訳(フィルムアート社/2000)

■牛津厚信
映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。

■公開情報
『家族を想うとき』
ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
出演:クリス・ヒッチェンズ、デビー・ハニーウッド、リス・ストーン、ケイティ・プロクター
配給:ロングライド
2019年/イギリス・フランス・ベルギー/英語/100分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch/原題:Sorry We Missed You/日本語字幕:石田泰子
(c)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2019
photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
公式サイト:longride.jp/kazoku/

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