“映画館でかけるべき映画”を作り手たちは考えないといけないーー三宅唱が2010年代を振り返る

三宅唱が2010年代を振り返る

「被写体の映画」を作ってみたい

――2010年前後に、インディペンデントな映画がたくさん出てくる中、監督自身はどうやって、自分の撮りたいテーマを見つけ出していったのでしょう。

三宅:一本目の『やくたたず』は、初長編だけにいろんなテーマを詰めていた気がしますが、今思えば「映画を作ること」そのもの、もっといえば「映画を作って生きていくこと」が一番のテーマだったような気がします。二本目の『Playback』は、役者の村上淳さんからのオファーだったので、自然と「役者」がテーマになったと思います。

――『やくたたず』を観たムラジュンさんが、三宅さんに声を掛けたんですよね。

三宅:すごく幸運でした。職業俳優として活躍されている先輩たちとがっぷり四つに組んで映画を作ることになり、役者と仕事をすることこそが監督の仕事なんだと気づかされたし、率直にそれが楽しいと初めて実感できた機会でした。それまでは、どこにカメラを置くとか、何をどう語るかということが監督の仕事だと思っていた節があるんですが、「あ、それだけじゃないわ」と。当たり前なんですが。

――二作目にして、すごい貴重な体験をされたわけですね。

三宅:役者と仕事をするのはこんなに面白いことで、そこで生まれるものが映画になるんだと。シンプルにいえば、魅力的な人間の魅力的な瞬間を映し取ることができれば、スクリーンで観るのに十分値する映画になるだろうと。極端な言い方ですが、自分は徹底してそれを「記録」して、「被写体の映画」を作ってみたいと思うようになりました。「監督の映画」ではなくて。『THE COCKPIT』は思い切りそれで、同時代の一番カッコいい人たちをカメラの前に呼ぶ、それだけでした。

――三宅監督の近作『ワイルドツアー』まで繋がっているような話ですね。

三宅:『THE COCKPIT』と同じ時期に始めた『無言日記』シリーズは、映像の「記録」という役割に振り切った映画だったと思います。それを数年続けていくのと並行して、『密使と番人』や『きみの鳥はうたえる』を経て、いちばんいい状態を「記録」するために然るべき「演出」が必要だろう、と改めて考えていくことになった。その意味で、アマチュアの中高生と一緒に「記録」と「演出」をゼロから実践できた『ワイルドツアー』の経験は幸せでした。

『ワイルドツアー』

――ここでちょっと、2010年前後の時代的な状況を、改めて振り返ってみたいのですが、2011年には東日本大震災がありました。あの出来事は、日本の映像作家たちにも、多かれ少なかれ影響を与えたと思うのですが、三宅監督の場合は、どうでしたか?

三宅:大きい話題で恐縮ですが、ごく小さい話をすると、ロマンチックコメディをよくみるようになった記憶があります。世の中の空気から逃避したい気分もあったのかもしれませんが、でも、ロマンチックコメディってどれも「どうやって再びやり直すか」という物語なので、むしろ時代の空気と思い切りマッチしていた気もします。それと、先ほど話した「被写体の映画」の話と関連しますが、ロマンチックコメディやラブコメ、青春映画は、まさに「被写体の映画」「役者の映画」なんですよね。演技、役者のいいパフォーマンス、いいキャラクターで引っ張るジャンルだと思います。

――ちなみに当時は、どんなラブコメを観ていたのですか?

三宅:エルンスト・ルビッチなどの古典や、80年代の学園モノ、あとはジャド・アパトーのプロデュース作品だとか、アメリカのいろんなコメディですね。新しい感情表現がいっぱい発明されてきたジャンルだと思います。単に「好きだ」とか「嫌いだ」と簡単には言えないような、言葉では説明できない感情を、若い役者と共に、新しい台詞と新しい身体表現を使って、なんとか探り当てていく感じ。そういう新しい可能性を発見していく過程が映画そのものになっている感じがして、刺激になりました。震災直後ということが影響していたかは断言したくないですが、言葉では説明できない気分や感情が自分や周囲にあって、それをどうすれば映画として表現できるのか、自分で実践するための足がかりとして、いろんな恋愛コメディ映画を見ていたように思います。まあ、自然と見始めたので、ほぼ後付けの理由ですけど。あと、震災直後は、ドキュメンタリーというか、生の映像を観るのが本当に嫌だった記憶があります。

――なんとなくわかります。

三宅:でも、震災直後に撮った『Playback』 を経て、映像の「記録」の役割が面白くなってきて、劇映画を「演技や演出の記録」として捉え直すようになり、それからドキュメンタリー作品というコードを取っ払えるようになって、数は少ないですがいろいろ見るようになりました。個人的にもっとも感銘を受けたのは小森はるか監督の『息の跡』(2016)と『空に聞く』(2019)です。それから酒井耕監督と濱口竜介監督による東北記録映画三部作(『なみのおと』(2011)、『なみのこえ』(2013)、『うたうひと』(2013))、あと松林要樹監督の『祭の馬』(2013)。それと、震災とは直接関係しませんが、『FURUSATO2009』(2010)、『風の波紋』(2015)、『ディスタンス』(2016)、『Tribe called Discord:Documentary of GEZAN』(2019)、『ナイトクルージング』(2019)だとか。一本の映画としての良し悪しということを超えて、映画を観た後もずっと考え続けたのは「ドキュメンタリー」と呼ばれる映画が多かったように思います。

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