フランス映画を楽しむ秘訣は“おしゃべり”にあり!? 『冬時間のパリ』が描く大人の恋愛観

『冬時間のパリ』で楽しむ「大人」の会話劇

 彼らの会話の口にする話題は様々ながら、やはり書籍に関連することが多い。「ツイッターで作家以外に誰もが発信者になったこと」「電子書籍で既存の本が売れなくなること」「インターネットにはびこるフェイクニュース」……つまり、デジタル化という新しい波によって出版業界がどうなってしまうのかという不安が語られるのである。最も脅威を感じているのは、もちろん編集者のアランであろう。

 アランはプレイボーイ風ではありながら、マラルメの詩や、ルキノ・ヴィスコンティ監督によって映画化された『山猫』の一節を咄嗟に暗誦することができる、知識に優れた、仕事上は真っ当な編集者である。だが、デジタル担当のロールは、生身の人間を必要としないロボット検索を積極的にとり入れることによって、編集者不要論ともとれる“出版改革”を提案し始める。アランのようなノウハウや文学知識は、これからは要らないというのである。『山猫』で、権勢を誇っていた貴族が時代に合わせて変わらざるを得なかったように。

 さて、これらの話がどう恋愛に関係してくるのか。アランは、書籍の文化を守りたいと考えつつも、じつは浮気相手のペースに引っ張られ、電子化をはじめとしたインターネットを利用するサービスを進める荷担をする事態に陥っており、またセレナも、アランがレオナールの小説をけなすと、レオナールに助け船を出し、出版させてあげようとしていることが、注意深く見ていくと分かってくる。そして登場人物たちは、自分の恋愛している相手に強く影響されていて、それが会話の端々に見えてくるのだ。レオナールの妻のヴァレリーもまた、自分が仕事で奉仕する政治家に、強く肩入れしているのである。

 「恋か仕事か」というフレーズがあるが、そのふたつは、まったく切り離されているかというと、そうでない場合もあるだろう。映画解説を長く務めていた、日本を代表する映画評論家・淀川長治は、フランス映画を「恋」と表現した。つまり、フランス映画には恋愛の要素がつまっている場合が非常に多く、恋愛体質が染み込んでしまっているというのだ。

 恋愛の本質とは何だろうか。それは突き詰めると、“お互いを理解し合う”ということであろう。では、どうやって分かり合うのか。肉体的な接触という意見もあるだろうが、もっと深く相手を理解するためには、やはり言語によるコミュニケーションが不可欠である。相手が仕事で悩んでいるという事実を知ることなく、外見の良さや表面的な態度ばかりに終始していては、「相手を理解した」とはいえないだろう。そして、互いに意志を疎通することで、影響を与え合う。それが大きければ大きいほど、互いの仕事や人生に変化を与えるはずなのだ。

 そして恋愛を描き続けてきたフランス映画は、そのことを知り尽くしている。さらにその土台にあるのは、論理を重んじるヨーロッパ文化である。その意識には、日本語を、どこか情緒的なものだと思いがちな日本人の言葉へのそれとは、根本的な違いがあるように思える。

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