『グリーンブック』は“人種差別”だけを描いた映画だったのか? その先にあったテーマを考える

『グリーンブック』の真のテーマを考える

 雨の道を走る車の中で、中年男2人の口論が始まった。その果てに、ハンドルを握るトニーに「(あんたと違って)俺は自分が誰か分かってる」と言われた後部座席に座るドクター・シャーリーは、トニーに車を止めるよう指示し、降りしきる雨にもかかわらず、黙って車を降り立つのだった。そして、そんな彼のあとを慌てて追ってきたトニーに向かって、こう言い放つのだ。「黒人でも白人でもなく、人間でもない私は何なんだ?」と。

 昨年のトロント国際映画祭で“観客賞”を受賞したことでにわかに注目を集め、その翌年(つまり今年)2月に行われたアカデミー賞では、“作品賞”をはじめ、“助演男優賞(マハーシャラ・アリ)”、“脚本賞”の三冠に輝くなど、一大センセーションを巻き起こした映画『グリーンブック』。ここ日本でも、アカデミー賞発表後の3月に劇場公開され大ヒットを記録したこの映画は、果たして本当に“人種差別”をテーマとした映画だったのだろうか。むしろ、そのテーマは、“人種差別”を入り口とした、その先にこそあったのではないのか。

 劇場公開から約半年が経った今、本作のDVD/Blu-rayがリリースされるこのタイミングで、改めてこの映画が内包する“テーマ”──“モチーフ”ではなく“テーマ”について、考えてみたいと思う。もちろん、“人種差別”は、この映画の前提として、あるいは時代背景として、不可欠な要素である。しかし、その構図にとらわれ過ぎると、本作が描き出す本当の“テーマ”が見えづらくなってしまうのではないか。そんな気がしてならないのだ。

 恐らくその背景には、アカデミー賞の授賞式のあと、本作を『ドライビング・ミス・デイジー』になぞらえ、その受賞に率直な違和を表明した黒人映画監督、スパイク・リーの影響も少なからずあるのだろう。無論、この映画は、“人種差別”をモチーフとした映画ではある。そもそも、タイトルからして“グリーンブック”なのだから。劇中にも何度か登場する“グリーンブック”とは、1936年から1966年までのあいだ毎年出版されていた、黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブックのことを指す。

 映画の舞台となるのは、1962年のアメリカ。リンカーン大統領による“奴隷解放宣言”がなされてから約100年の歳月が流れてもなお、アメリカ南部の多くの州では“ジム・クロウ法”と呼ばれる、黒人が一般公共施設を利用することを禁止制限した法律が存在し、依然として実質的な人種差別が行われていた。公然と黒人の利用を拒否する南部の宿泊施設やレストラン。黒人の旅行者たちが、それらの施設を利用した際のトラブルを避けるため、彼らが利用可能な施設をあらかじめ記したのが、この“グリーンブック”という次第である。

 そんな“グリーンブック”を渡され、運転手としてハンドルを握るのは、トニー・“リップ”・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)だ。ニューヨークのナイトクラブで用心棒を務めていた彼は、クラブが改装期間に入るあいだ、別の仕事を探すことを余儀なくされる。そんな彼のもとに、「期間限定で黒人ピアニストの運転手をやらないか?」という話が舞い込んでくる。ピアニストの名前は、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)。トニーはその名を聞いたことがなかったけれど、カーネギーホールの上階の高級マンションに居を構える、とても高名なピアニストであるらしい。

 これから8週間にわたって、アメリカ南部を初めてまわるコンサートツアーを予定している彼は、ある種の“トラブルバスター”であるトニーの腕を見込んで、そのツアーの運転手兼マネージャーとして雇い入れようというのだ。黒人に対する印象は必ずしも良くはないけれど、背に腹は代えられない。高額なギャラに惹かれたトニーは、結局その仕事を引き受けることにする。こうして、人種はもちろん、生まれも育ちも、その価値観も大きく異なる2人──本来ならば、出会うことのなかったかもしれない中年男2人の旅が始まるのだった。

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