オダギリジョーの“わがままでぜいたくな”一作 『ある船頭の話』に込められた現代社会への問い

『ある船頭の話』の現代社会への問い

 本作のヴェネチア国際映画祭での上映を終え、先日、日本外国人特派員協会で帰国会見がおこなわれた際、オダギリは「健康診断の結果があまり良くなかったため、残された自分の時間を改めて考えて、やっぱり映画を撮りたいと思った」(https://eiga.com/news/20190910/11/)と述べたが、こうした波紋を呼ぶ発言は真実かもしれないし、ひょっとするとプロモーション的計算もあるかもしれない。そしてこの会見でもやはり、先輩俳優(柄本明のこと)を信頼しているため「芝居をつけるのを避けました」と述べている。どうやら監督オダギリジョーと主演の柄本明のあいだに相当の緊張感と葛藤があったらしいことを、筆者の知るある関係者も証言してくれている。

「クランクインして最初の一週間で口内炎が20個近くできて、何も食べられなくなりました。ゼリーやスープしか口にできない状況で、いきなり5キロ以上体重が落ちました」

 オダギリの心労が上記の発言からまざまざとわかるが、それもまた映画製作のひとつのありようだ。ハリウッドでも、誰もが知っている名作・傑作の監督と主演俳優の関係がしっくりこなかった、撮影後半はまったく口を利かなかったなどというエピソードは掃いて捨てるほどある。とにもかくにも「あとはいいものに仕上がっていればいい」と柄本は言う。ロケーションは友だち作りのためではなく、映画に身を捧げるための供儀空間である。ロケ地にえらんだ阿賀野川は山深い場所で、ゴツゴツとした岩場。カメラポジションを少し変えるだけで一苦労だ。キャリア豊富なクリストファー・ドイルも「人生の中で最もハードな撮影だった」と述懐している。

 この苛酷な製作環境の中から絞り出されたものは、わがままでぜいたくなものだ。これ一本で終わってしまっても差し支えないという監督オダギリの開き直りがそのまま写っている。岸と岸とを結ぶ動線を往還する前半から打って変わり、蠱惑的な緋色の闖入者によって、達観していたはずの老船頭の心理が撹乱され、兇暴なるディアゴナルな視線の交錯が生起し、美しい川の流れは一転して事件性の匂いを、臆面もなくあたりにまき散らす。それまでカメラはほぼつねに、川の流れに対して垂直に向けられ、風景を人の視線に寄り添わせていた。ところが、事件性の匂いが発散された今となっては、カメラもまた臆面もなく、岸辺からの無人格的なロングショットもドンとやり始め、あげくには山水画のごとき、神格的な俯瞰ショットさえ登場する始末だ。これはもはや、この映画における渡し場の秩序が完全に破綻し、兇暴なるディアゴナルな動線を、そして垂直から並行的トラベリングへの移行を、映画がこらえようもなく画面に許してしまった結果なのだ。

 このような破綻ぶりを自作の中に埋め込める映画作家は、そんじょそこいらにいるわけではない。どんなに凄惨なバイオレンスを描こうが、どんなに豪快なスピードに身を預けようが、どんなに過激に社会通念から逸脱しようが、ほとんどの作り手はせいぜいが「ワルの予定調和」に回収されてしまう。オダギリジョーは一見するとミニマリズムから出発し、渡し舟の緩慢なトラベリングから一度たりとも身を離すことなく、世にはびこる予定調和をしずかに、そして兇暴に踏み外して見せた。これが稀有なアクロバット的事態であることに、私たち見る側は謹んで驚かねばならないと思う。

※文中のオダギリジョー、柄本明、クリストファー・ドイルの発言は映画プレス内より

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
ブログTwitter

■公開情報
『ある船頭の話』
新宿武蔵野館ほか全国公開中
出演:柄本明、村上虹郎、川島鈴遥、伊原剛志、浅野忠信、村上淳、蒼井優、笹野高史、草笛光子、細野晴臣、永瀬正敏、橋爪功
脚本・監督:オダギリジョー
撮影監督:クリストファー・ドイル
衣装デザイン:ワダエミ
音楽:ティグラン・ハマシアン
配給:キノフィルムズ/木下グループ
(c)2019「ある船頭の話」製作委員会
公式サイト:http://aru-sendou.jp
公式Twitter:https://twitter.com/sendou_jp
公式Facebook:https://www.facebook.com/sendou.jp

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