いたずら好きの小妖精に誘われてーー『イメージの本』の観客は“森”の中で前後不覚となる

荻野洋一の『イメージの本』評

「ガレルは言葉なしの映画を作っています。思い切りがいい。ただ、ぼくの作っているものも、どちらかと言えばサイレント映画なのです。音はたくさん入っていますが、テクストに意味はありませんし、言葉の選択も……。(中略)ぼくは言葉が好きなんですよ。それらはシェイクスピア劇に出てくるいたずら好きの小妖精みたいなものです」(今年2月に邦訳が刊行された『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話』より)

 ゴダールに言わせればこの音+映像の洪水もサイレント映画の一種なのだそうだが、もしそれが「いたずら好きの小妖精」のしわざだとすれば、いくつものアナグラムが乱発されてきたのも頷ける。前作『さらば、愛の言葉よ』の原題『Adieu au langage(アデュー・オ・ランガージュ)』の中の「Adieu(さらば)」が「A dieu(ああ神よ)」に解体される。それはあたかも神に対して決別を宣言したかのようにスキャンダラスに受け取られるだろう。小妖精の飛び回りによって言葉は解体され、それ本来の意味が剝離し、まったく異なる文脈が浮上してしまう。たとえばオーディオ(audio)の語源はラテン語の「私は聴く(L.audire)」らしいけれども、au+dioに分解してしまえば、「私」が教会にいてdio(神)の声を聴くというニュアンスさえも嗅ぎつけ得るのだ。

 21世紀に作られたあらゆる映画の中で最も美しい映画のひとつであり、ひたすら痛ましく、また清雅簡潔な作品『アワーミュージック』(2004)の中で、ゴダールは登場人物に「アメリカ先住民は世界のことを“森”と呼ぶ」と発言させていた。ゴダールはアメリカ先住民に倣い、映画を森とする。これまでのゴダール映画に頻出したマテリアルーー自動車、列車、カフェ、ホテル、ガソリンスタンド、スタジオ、空港、フェリーetc.ーーは世界の中継地点であるがゆえに、常に重要さを保っていた。新作『イメージの本』でも、第1章の冒頭でF・W・ムルナウ監督の名作『最後の人』(1924)のホテルのドアマンが登場し、第3章は丸ごと列車のイメージに捧げられている。それらのマテリアルは常に中継地点であり、接続詞でもある。

 「イメージの本(Le livre d’image)」における前置詞「の」はいつでも平然とした顔で接続詞「と」へと代置可能である。「イメージの本」は「本のイメージ」と反転させることも、「イメージと本(Le livre et l’image)」へと代置することも可能であって、また「本」は「森」に代置することさえも可能であり、「イメージの本」はいつでも「イメージの森」へとメタモルフォーゼを果たすだろう。じっさいこの映画の観客は、小妖精がいたずらっぽく招き入れた森の中で前後不覚となりながらも、散策をやめない失踪者だと言えるのではないか。そしてそれこそまさに、「アメリカ先住民は世界のことを“森”と呼ぶ」ことの意味ではないか。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『イメージの本』
シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中
監督・編集・ナレーション:ジャン=リュック・ゴダール
撮影・編集:ファブリス・アラーニョ
⾳楽:ECM
出演:ジャン=リュック・ゴダール、ディミトリ・バジル
配給:コムストック・グループ
提供:レスぺ
2018年/スイス・フランス合作/84分(予定)/原題:Le Livre d’image(英題:The Image Book)
(c)Casa Azul Films – Ecran Noir Productions – 2018
公式サイト:jlg.jp

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