『ビール・ストリートの恋人たち』“理不尽への抵抗”がメロドラマを通した新鮮なタッチで描かれる

『ビール・ストリート~』が描く“理不尽への抵抗”

 『ビール・ストリートの恋人たち』がユニークであるのは、こうした重くシリアスなテーマを伝える際に、アメリカ映画がほんらい持つ怒りと熱気ではなく、ヨーロッパ映画的な静けさと美的感覚をもって物語を構成していく独特のセンスにある。前述した『ドゥ・ザ・ライト・シング』を例に取れば、スパイク・リーはラップ・ミュージックの激しいビートと、うだるようなニューヨークの暑さ、勢いのあるせりふの応酬によってアメリカ映画らしいエネルギーを獲得していた。対照的に、『ビール・ストリートの恋人たち』における撮影のセンス、画作りの美しさや色使いの巧みさには、ヨーロッパ映画的な静寂と内省が見て取れる。むろん監督は黒人を取り巻く状況に対して怒りを覚えているのだが、作品へと昇華する際にもっとも強調されるのは静けさであり、美しさである。ここにバリー・ジェンキンスならではの新鮮なタッチがある。

 たとえば冒頭、美しく色づく秋の街路樹の下を歩く男女をとらえたショットはどうか。彼らが身につける洋服の黄色と青は、街路樹の黄色い葉と鮮やかなハーモニーを奏で、ふたりの愛を印象づける。優雅でロマンティックな、ラブストーリーらしい雰囲気に胸がときめくオープニングだ。劇中、愛し合うふたりの経験する理不尽さは、爆発する怒りとしてではなく、引き裂かれるふたりの不運に寄り添うメロドラマとして表現される。考えてみれば、前作『ムーンライト』のフレッシュさもまた、黒人コミュニティを描きつつ、そこにアメリカ映画らしからぬ雰囲気を漂わせる巧みな演出にあった。『ムーンライト』劇中、主人公の少年と彼の面倒を見る男性ふたりが海水浴に興じる美しい場面を連想してほしい。あのような静けさに満ちたヨーロッパ映画的な描写が、アメリカ映画の枠内から生まれたことに感動してしまう。

 個人的にもっとも心を動かされたのは、スクリーンに写し出される人びとの表情である。わけても、無実のファニーを個人的な怨恨から犯人に仕立て上げた白人警官や、犯罪被害を受けた女性を正面からとらえたショットのみごとさには唸るほかない。彼らはいかなる人間なのかを鋭く問うような、バストショットの迫力。映画ならではの、カメラを通して人を見つめる行為の怖ろしさに戦慄してしまう。次にバリー・ジェンキンスが取り組むのは、黒人奴隷の解放をテーマにしたコルソン・ホワイトヘッドの小説『地下鉄道』(早川書房)の連続ドラマ化だという。原作の選択も彼のテーマ性とぴったりと重なり、いったいどのような作品になるのかと期待はふくらむばかりである。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

■公開情報
『ビール・ストリートの恋人たち』
全国公開中
監督・脚本:バリー・ジェンキンス
原作:ジェイムズ・ボールドウィン『ビール・ストリートの恋人たち』(早川書房刊)
出演:キキ・レイン、ステファン・ジェームス、レジ―ナ・キングほか
提供:バップ、ロングライド
配給:ロングライド
(c)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All Rights Reserved.
公式サイト:longride.jp/bealestreet/

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