井樫彩が絶えず描く「不自由」と「自由」のせめぎ合い 『21世紀の女の子』の一篇『君のシーツ』に寄せて

井樫彩が絶えず描く「不自由」と「自由」

 さて、『君のシーツ』はこれまでの2作と比べ、また手触りの異なる作品である。主人公の女性(三浦透子)は恋人(小柳友)と同棲しており、ふたりが眠るベッドはあたたかな光に包まれ、満ち足りた日常を送っているように見える。そんな彼女の前に、とつぜん謎の女性(清水くるみ)が現れる。これが本作のあらすじだ。

 本作には先述した『21世紀の女の子』の共通テーマが、きわめてストレートに反映されている。それでいて、物語自体は非常に抽象的だ。そもそも登場する男女が恋人同士であると断言はできないし、満ち足りた日常がそこにあるのかは判然とせず、謎の女性は謎のままである。彼女たちの置かれている状況説明は一切なく、セリフも極端に排されている。モノローグやダイアローグに頼ることなく、映像で物語ろうとする試みに、私たちは想像力をめいいっぱいに働かせて向き合わなければならない。

 本作がこれまでと大きく違うのは、ひとつの部屋という限定空間だけで物語を完結させている点だ。限定空間とは、まさに「不自由」を象徴するものだろう。しかし、ふたりの女性が真っ白なシーツにくるまることで、そこにはまたもアジール(=逃避の場)が誕生する。この不自由さを監督自身が選び取り、その中でいかに「自由」に振る舞うことができるかを楽しんでいるように思える。ラディカルでいて、じつに遊び心に溢れた作品なのだ。それを8分間という制限(=不自由さ)の中で、彼女はやってのけている。

 井樫作品に共通して見出せるもの、それは「不自由」と「自由」のせめぎ合いである。これは劇中に描かれているものだけを指すのではなく、彼女の作品の手触りにおいてもいうことができるのだ。個々の作品で会得した作風(スタイルや手法)を次の作品では採用せず、焼き直し的なことは決してしない。それはあえて不自由さに挑むことであり、翻って自由さを象徴する営為であるようにも思えるのだ。『21世紀の女の子』では、不自由さの中であえぐ女性たちの姿をいくつも目の当たりにすることとなるのだが、「不自由」の中で「自由」を見出そうとする態度であること、これこそが井樫彩が“21世紀の女の子”である必然的な理由なのではないだろうか。

■折田侑駿
映画ライター。1990年生まれ。オムニバス長編映画『スクラップスクラッパー』などに役者として出演。最も好きな監督は、増村保造。

■公開情報
『21世紀の女の子』
全国公開中
企画・プロデュース:山戸結希
エグゼクティブ・プロデューサー:平沢克祥、長井龍
コプロデューサー:小野光輔、平林勉、三谷一夫
製作:21世紀の女の子製作委員会(ABCライツビジネス、Vap)
製作・配給協力:映画24区、和エンタテインメント
配給:ABCライツビジネス
(c)21世紀の女の子製作委員会(ABCライツビジネス、VAP)
公式サイト:http://21st-century-girl.com/

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