『マチルド、翼を広げ』は“親子関係”についての認識を更新する 女性監督が描く9歳の少女の自立

荻野洋一の『マチルド、翼を広げ』評

 シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の中で、王妃ガートルードがオフィーリアの死の様子を語る場面に、次のようなセリフがある。

王妃ガートルード「裾が大きく広がって、人魚のようにしばらく体を浮かせて―――そのあいだ、あの子は古い小唄を口ずさみ、自分の不幸が分からぬ様子―――まるで水の中で暮らす妖精のように」

 「自分の不幸が分からぬ様子」──少女マチルドはまさにこの状態にあり、ペットであるフクロウとの対話(不思議なことにこのフクロウは、マチルドとだけはフランス語で会話することができる)の中で「君は不幸だ」「いいえ、私は幸福よ」と言い合うシーンがある。歌を歌いながら、自分の危機にさえも不感症となったオフィーリアの呆然としたイメージ。そんな9歳少女の精一杯の虚勢に、私たち観客は心を痛める。理科授業用の骸骨を盗んできたマチルドは、「死者は埋葬しなければ、魂の平安が訪れない」というフクロウの指示にしたがって、骸骨を埋葬しに出かける。郊外の森を掘ったマチルドは、まず自分の身体を墓穴の中に横たえてみせ、あまつさえ周囲の土を自分の上に撒いてみる。オフィーリアの水死体イメージが、ここでは悪戯めいた埋葬願望として現れてくる。

 それでも彼女はまだ子どもなのだ。母親への心配を通り越して、激しい怒りへと発展する。クリスマスの夜、心神喪失の母親が帰ってこないことに腹を立て、衝動的にロウソクの炎を自宅カーテンに点火してしまう。フクロウの適切な消火アドバイスによりボヤで事なきを得たが、このカーテンへの点火シーンは、まるで往年のトリュフォー映画のように衝動的で、切なく、鮮烈で、そして(皮肉なことに)おそろしく詩情に満ちている。

 苦しい局面が毎日を襲う母と娘にも、転機が訪れる。母親の精神状態はもう日常生活をまともに送れないほど悪化してきており、それを自覚した母は精神科施設への入院を決意するのだ。行き着くところまで行き着く母と娘。ここまで見てきた私たち観客は、この二人の女性の行く末を、そして転機の瞬間を、目を背けることなく最後まで見届けなければならない。(詳細はもちろんここでは語れないが)この世のものと思えないほど美しいラストシーンまで、この上なく美しい雨に濡れるまで、この上なく平和な笑顔が到来するその日まで。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『マチルド、翼を広げ』
監督:ノエミ・ルヴォウスキー
脚本:ノエミ・ルヴォウスキー、フロランス・セイヴォス
出演:リュス・ロドリゲス、ノエミ・ルヴォウスキー、マチュー・アマルリック、アナイス・ドゥムースティエ
2017年|フランス|フランス語|95分|カラー|1:1.85|5.1ch
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本 
配給:TOMORROW Films. /サンリス
(c)2017 F Comme Film / Gaumont / France 2 Cinéma
公式サイト:http://www.senlis.co.jp/mathilde-tsubasa/

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