“戦争小説”の書き手としてのサリンジャー 『ライ麦畑の反逆児』が捉えた生涯の苦しみと矛盾

『ライ麦畑の反逆児』“戦争小説”としてのサリンジャー


 彼を生涯にわたって苦しめた戦争の記憶、激しい暴力のフラッシュバックに悩む主人公の姿は、本作において非常に伝わりやすく映像化されている。楽しいはずのパーティーで、突如として襲ってくる戦場の記憶に混乱する場面は効果的だ。「帰国兵士はほとんどが恥辱と誤解をおそれて、日々自分たちが直面している心の傷を、口に出せないでいた」(『サリンジャー 生涯91年の真実』p289)。だからこそサリンジャーは、苦しみを昇華するための創作を必要としたのだ。『ライ麦畑でつかまえて』はニューヨークの町をさまよう少年の物語だが、それでもなお、作品は戦場の出てこない戦争小説なのである。サリンジャーは知人に、終戦したとしてなお「個人的な戦争はまだ続きそうだ」と書いた手紙を送っている(『サリンジャー』 p210)。彼は深い心の傷を抱え、彼自身の戦争をたたかっていた。

 ことほどさように、サリンジャーには同情すべき点が多いが、同時に彼は、気まぐれでやっかい者、偏屈で人ぎらい、しかし目立つのは大好きといった、矛盾した性格で周囲を困らせていたことでもよく知られている。彼のややこしい性格が垣間見えるたびに、これがサリンジャーだよと嬉しい気持ちになってくるのだ。たとえば「絶対に書評を送ってくるな、いっさい読みたくない!」と出版社相手に豪語したかと思えば、次のカットではみずから嬉しそうに新聞の書評を切り抜いている、といった描写。あるいは、コロンビア大学の授業で、教師に反抗的な態度を取ってみせるくだり。彼は反権威主義の作家と思われがちだが、一方では一流の文芸誌「ニューヨーカー」に掲載されることにこだわり、「ハリウッドからの関心や、アイビーリーグからのお墨付きといった、自分が蔑むべきと主張していたものを頻繁に求めるようになっていった」(『サリンジャー』 p323)面もある。彼は口では反権威を主張しつつ、内心では誰よりも権威にこだわる男であった。

 『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は、こうしたサリンジャーの苦しみや矛盾を描きつつ、誰よりも小説家らしい小説家である彼の姿を立体的に浮かび上がらせている。ある時期から田舎へ越して隠遁し、いっさいの作品を発表しなかったという晩年も含めて謎の多い作家だが、たくさんの人がサリンジャーに惹かれる理由が本作から感じられるだろう。彼より才能のある小説家はいたとしても、彼ほどに〈生きること〉と〈小説を書くこと〉が一体化してしまった人物はなかなかいないのだ。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

■公開情報
『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』
全国公開中
出演:ニコラス・ホルト、ケヴィン・スペイシー、ゾーイ・ドゥイッチ、ホープ・デイヴィス、サラ・ポールソン
監督・脚本:ダニー・ストロング
製作:ブルース・コーエン、モリー・スミス
原作:『サリンジャー 生涯91年の真実』(晶文社刊)
提供:ファントム・フィルム/カルチュア・パブリッシャーズ
配給:ファントム・フィルム
106分/アメリカ/カラー/2017/英語/原題:Rebel in the Rye
(c)2016 REBEL MOVIE, LLC. ALL RIGHTS RESERVED
公式サイト:rebelintherye-movie.com

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