ヴァネロペとラルフが象徴する「和解と別離」 『シュガー・ラッシュ2』が描く現実のほろ苦さ

『シュガー・ラッシュ2』が描くビターな「現実」

 アクションあり、メタなジョークあり、時評あり、戦いを勝利で終わらせない驚きがあり、遊びや小ネタでニヤリとさせることも忘れない。非常に多彩で、ウェルメイドなこの作品は、2時間足らずでエンドロールを迎える。だが、失われていた均衡が回復し、丸くおさまる『ズートピア』や、前作『シュガー・ラッシュ』とは異なり、本作のラルフは痛みを抱え、不安定な心境に揺れたままだ。過渡的な状況のまま幕を降ろす今作に、不安やしんどさを感じた観客も少なくないだろう。

 ヴァネロペが、役割をこなす生活から、自分を試すことのできる新天地へと進んだことはひとえに素晴らしい。しかし前作から、ゲームセンターの営業中に自分のゲームを抜け出して他のゲームへ入り込むことは「ターボ」と呼ばれ、ゲームを危機にさらす禁忌として語られてきた。そのことを思えば、ヴァネロペがみずからの役割を放棄して冒険へと飛び出す決断は、かなりラディカルに映る。

 彼女の背後にはあきらかに、個人の尊重ーー共同体の利益の最大化よりも、個人の自由な選択を重視するーーというポリティカルな倫理がはたらいている。しかし、いくら個人が大切だとしても、いわば「ハイになる」ために故郷を危険にさらす行動を、倫理で正当化するのはなかなかむずかしい。「私は16人のうちの1人だから重要じゃない」と弁明してはいるが、ヴァネロペは王女であるばかりか、ゲーム内の最強レーサーであり、プレイヤーの人気も高い。

 目玉キャラ不在の「シュガーラッシュ」は、前作の状態に似て、潜在的な崩壊の危機にあるはずだ。本作のあとに、「リトワクさん、最近いつ来てもヴァネロペがいないよ〜!」というプレイヤーのクレームを想像するのはたやすい。

 また、作中のヴァネロペは、かつて弱点であり、迫害をうける理由であったグリッチを逆に武器として利用する。他のキャラクターから見ればズルをしているように見えるが、それを咎められる描写はまったくない。だれも不満を言わないどころか、「不具合キャラ、最高!」というプレイヤーのセリフが重ねられるのは、いささか不穏である。

 この、作品にひやりと吹きこむ隙間風をどう捉えるべきだろうか。ヴァネロペの行動への肯定ととるか、あえて葛藤が切り抜かれた空白ととるかで、映画の評価が変わってくるだろう。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる