『獣になれない私たち』を“ゾンビもの”として考えてみた 「しんどい」が大渋滞する意図を読む

“ゾンビもの”としての『けもなれ』

 もちろん、いつだって自分の自由意志を貫くためには、他者の理解が必要なのだ。新しい自由を手にしたかったのなら、当事者同士でルールのすり合わせを行うこと。それが本質的な“自己責任”だ。何が相手にとって不快になるのか、想像して、対話する。だが、人は「自分と他者が違う考えを持っている」ということは知ってるつもりだが、実際に向き合ったとき「自分ならこうするのに」「普通はこうするはず」と自分基準で考えてしまいがち。もはやみんなが大前提としているモラルが崩壊しているのだから、対話の前に価値観を知るというプロセスも必要だ。

 実際に、主張を聞いてみると、自分に都合のいい倫理観を組み合わせて、論理が破綻している思考停止状態な人も少なくない。朱里とは「してない」から愛してない、晶とは「してる」から愛してる、でも呉羽とは「した」けど「愛してない」から許してほしいし、晶は「愛してない」けど「する」は許せない、という京谷の思考は支離滅裂だ。「仕事が決まるまでいていい」と言われたから、「仕事を決めずにずっと居座ってもいい」と京谷の言葉を捻じ曲げている朱里もそうだ。持っている人を妬み、謎の理論を展開して呪いをかける姿は、もはや人にあらず。

 モラルやルールのすり合わせるのは、誰かを縛って自分の自由を行使するのではなく、お互いの自由を尊重するためにあるものなのだ。もちろん、ときには獣のように自由を求めて闘うことも必要だが奪い合いを続けていけば、いつか社会は崩壊してしまう。「しんどい」を乗り越えるのは、つまるところ愛しかない。性交渉は愛を体現するひとつの行動ではあるが、今や性に関するモラルも人それぞれになってきた。だが、変わらないのは“交渉”に残っている理解し合おうとする愛ではないか。性的接触をした呉羽と京谷よりも、言葉を交わしている晶と恒星に、ラブかもしれない何かが生まれる予感があるのは、きっとそこに思考があるからだろう。


 「クズ」「しんどい」と、モンスターやゾンビたちをシャットアウトする自由もある。だが、その理解しがたい主張を繰り広げる生物たちを画面越しに観て、「うわー」と思いながらも「自分ならどんな論理で共生していくか」を考えるのも、このドラマの楽しみ方のひとつではないか。自分の自由を守るため、そして人間らしく生きるための思考力を磨いていくのだ。そして、ふと自分自身の中にもいるゾンビやモンスターを見つけて、ゾクッとしてみたり。甘いラブだけではない。誰が観てもわかりやすいストレートな思いだけでもない。そんな人間の雑味も含めて味わうドラマなのだから。

(文=佐藤結衣)

■放送情報
『獣になれない私たち』
日本テレビ系にて、毎週水曜22:00〜放送
出演:新垣結衣、松田龍平、田中圭、黒木華、菊地凛子、田中美佐子、松尾貴史、山内圭哉、犬飼貴丈、伊藤沙莉、近藤公園、一ノ瀬ワタル
脚本:野木亜紀子
演出:水田伸生
チーフプロデューサー:西憲彦
プロデューサー:松本京子、大塚英治
協力プロデューサー:鈴木亜希乃
制作会社:ケイファクトリー
製作著作:日本テレビ
(c)日本テレビ
公式サイト:https://www.ntv.co.jp/kemonare/

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